ギュスターヴ・ル・ボン「群衆心理」 教育と訓練⑤(最終回)

ついで、この著名な歴史家は、わが国の制度とアングロ・サクソン民族の制度との相違を示している。
アングロ・サクソン民族にあっては、教育は、教科書ではなく、事物そのものに基づいている。例えば、技術課は、作業場で養成されるものであって、決して学校においてではない。各自は、知能相応の程度にまで、まちがいなく昇進することができるのであって、もしそれ以上に進むことができないならば、職工か職工長になり、もし天分があるならば、技師になる。これこそは、一個人の全生涯を、十八ないし二十歳で受ける数時間の競争試験に依存させることよりも、はるかに社会にとって有益で民主的な方法である。

「非常に若くして入学を許可された生徒が、施療院や鉱山や工場で、あるいは建築家や法律家のもとで、年期を入れ、見習いをする。これは、わが国の書記が法律事務所で、学生がアトリエでそうするのと、ほぼ似ている。あらかじめ、そこに入るに先立って、生徒は、これからすぐに行おうとする実地観察をおさめる額縁を用意しておくために、何か全般にわたる概略的な講義を聞いておくことができたのである。しかし、日々の経験を順次に整理するためには、多くの場合、生徒の能力に応じて、いくつかの専門的な講義があるから、ひまなときにはそれをきくこともできよう。このような制度のもとでは、ちょうど生徒の能力相応に、しかも将来の仕事・・・・・・今後自分がそれに順応しようと望む専門の仕事によって要求される方向に、実際的能力が、自然に成長し発達するのである。こういう方法によって、イギリスや合衆国では、青年は、すみやかに、自分の全能力を発揮できるようになる。二十五歳にもなれば、素質や天分を欠いていないならばもっと早くからでも、青年は、単に有用な技師となるのみならず、機敏な企業家ともなり、一箇の歯車となるのみならず、さらに発動機(モーター)ともなる・・・・・・これとは反対の方法がこれまで幅を利かして、その方法が時代を経るごとにいっそう中国風になりつつあるフランスでは、浪費された労力の総計は、甚大なものである」

さらにこの偉大な哲学者は、ラテン式教育法と実生活との不均衡が次第に増大しつつある点に関して、次のような結論に達している。


「幼年期、少年期、青年期という教育の三段階を通じての、腰掛の上で教科書にたよる学校の学理偏重の準備期間は、試験や学位や卒業証書や免許状を目当てに、単にそれのみを目あてに、永びいて過重に失した。しかも、それは、最悪の方法によったのである。すなわち、反自然的反社会的な制度の適用と、実地修業期の極度の遅延と、寄宿制度と、人為的な訓練と、機械的なつめこみ主義と、過度のベン学徒により、かつ将来のこと、生授記のこと、成人してからなすべき男子の職務のことを無視し、やがて青年が投げ込まれる実世間のこと、前もって青年をそれに順応させあるいは従わせるべき周囲の社会のこと、青年が身を守ってうち倒されないために、あらかじめ準備武装され、鍛錬されているべき人間闘争のことなどを考慮にいれなかった。こういう必要欠くべからざる武装、他の何ものにもまして重要な修得、良識や意志や神経の堅固さ、わが国の学校は、そうしたことを青年に得させない。全然逆で、将来の決定的な地位のために必要な資格を青年にさずけるどころか、かえってそれを奪ってしまうのである。従って、青年が世間に乗り出し、実際活動の領域に足を踏みいれるやいなや、多くは痛ましい失敗を重ねるだけである。そのために、青年は傷つけられ、永いあいだうちのめされたままで、往々一生涯敗残者となってしまうことがある。これは、苛酷で危険な試練である。そのために、道徳上、精神上の均衡が敗れて、もはや回復できない恐れがあるからである。あまりにも急激な、あまりにも完全な幻滅が訪れ、失望はあまりに大きく、悔恨はあまりにも痛切であったのである」

上述したことは、群集心理からわき道へそれたことであろうか?断じてそうではない。群衆の心理に今日芽ばえて、明日開花する思想や信念を理解するには、どういうふうにその地盤が用意されたかを知らねばならない。一国の青年にさずけられる教育をみれば、その国の運命を幾分でも予想することができる。現代の教育法は、最も暗澹とした予想を裏書きしている。群衆の精神が、改善されるのも、悪化するのも、幾分は教育と訓練によるものである。

それ故、現行の制度がそういうふうに群衆の精神を作り上げたか、また、無関心な中立的人物の軍が、どのようにして空想化や修辞家の与えるあらゆる暗示に進んで従おうとする不平化の大群に次第に貸していったかを示すのは、必要であったのである。学校は、今日、不平化や無政府主義者たちを養成して、ラテン民族の衰退期を用意しつつある。

<了>


ギュスターヴ・ル・ボン 「群集心理」

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