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大学合格した日のことは全く覚えていない

なんかTwitterで〇〇大学合格しました!みたいなのがたくさん流れていた。家族と先生と親しい友達に言えば十分では??もちろん嬉しいのだろうが、自己顕示欲や思慮のなさが滲み出ていて辟易した。今はそれが普通なんかな(そうでないことを信じたい)。そうだとしたら、ジェネレーションギャップ以外の何物でもない。感性や常識をアップデートするのは難しい。

数えてみると、僕が大学を受験してから(京大ではない)15年くらい経っている。0歳の子が中学卒業しまうだけの時間が大学に入ってから過ぎたことになる。果てしない時間だ。Twitterなんてなかった。辛うじてmixiがあったな。

悲しいかな、大学合格したときのことはほとんど覚えていない。どんな気持ちで試験に望んだか。どんな気持ちで合格発表まで過ごしたか。どんな気持ちで合格発表を見たか。誰にどう合格を報告したか。どういう気持ちで入学式を迎えたか。(幸いにも希望の大学に合格した。)

嬉しかったことはすぐ忘れてしまう。人の記憶には辛い悲しい出来事のほうが強く刻み込まれるようだ。

日記やブログが、考えたことや思ったことを忘れてしまわないように書き留める場所ならば、嫌なことは書く必要がないし(忘れないからだ)、楽しかったこととか嬉しかったことを書いていったほうが良いということになる。

ということは、合格報告をTwitterに垂れ流すのは良いことなのか。


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