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「音痴」だからどうだっつーんだ(笑)

忍センセの記事を受けまして、「音痴」というよりは歌が「上手い」「下手」について私個人の思うところをご紹介できたらと思います。少し過激かも?な意見なのでご賛同いただけ無い方も多くいらっしゃるかもなとも覚悟はしております(笑)

なんのために「歌う」のか

唐突ですがなんのために歌うのか、私はここに「楽しい」ことが何より大事だと思います。日常の生活で「歌う」場面というのは色々とあると思いますが特にカラオケなど、複数人で集まって歌い合う場合に評論家がいる場では私個人は歌いたくありません。

歌うことに「評価」は必要か

しばしばカラオケなので「あの人は上手い」という評判、ここまでは良いのですが「AさんよりもBさんの方が上手い」「Cさんはそんな別に上手くない」という意見や話題が私は好きではありません。忍せんせいの文章にもありましたが「自分は音痴である」「自分は歌が上手ではない」をコンプレックスとして抱えてしまっている人も少なからずいると思います。
それって、素人評論家による根拠のない格付けに起因することが多々あるのではないでしょうか。
これ、楽しい環境でしょうか?ワクワクする場でしょうか?
とにかくこの問いにちゃんと答えてほしいです。楽しいのは評論家様一人ではないですか?

「楽しむ」ことが最上位にあるべき(と思います)

人によっては何が「楽しい」のかは変わってくると思います。大きな声をだすこと、リズムに乗ること、メロディーを感じて寄り添うこと、歌詞の感情に没入すること、なんだっていいと思います。楽しめるかどうかに「上手いか上手くないか」なんて資格審査はありません。
「もっとうまくなりたい」と思ったときには忍先生のような指導者に就くことを試してみてもいいし、好きなアーティストのモノマネから入っていったっていいし、なんだったいいんです。

気持ちを「挫く」ことが最も忌むべき行為

基本的に根ざす最も根本的な価値は「歌うことは楽しいことだ」ということです。そしてもう一つ、あなたの「楽しい」が他の人の「楽しい」に対する破壊行為になっては決していけないということです。
自分が「音痴」だなぁ、だからもっと上手くなりたいなぁ、という気持ちは私も持っています。そこから試みを始めることは楽しいことです。
しかし他人から「あなたは歌が上手ではない、だから・・・・」と言われることはどんな人でも傷ついてしまうと思います。
まず他人を「評価する」という行為自体、特別な条件がない限り合理的な行為ではないです。

じゃあどうすりゃいいんだと

私の場合は、という言い方になってしまいますが、常に今よりもっと「楽しく」するためにはどうしたら良いだろう?こればかりを考えています。
楽しくするための方法・アプローチは無限にあると思います。私にも私流のやり方があります。これは絶対正解があるものではないので、自分なり、その場なり、雰囲気なり、で常に柔軟に感じて、考えて、生み出していったらよいのではないでしょうか。

以上、「音痴」おじさんより、忍センセの「音痴」議論について思ったことを綴ってみました。


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