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サザンオールスターズ『キラーストリート』から読み解くゼロ年代


【はじめに 原体験としてのキラーストリート】

2005年に発表されたサザンオールスターズの『キラーストリート』は、
91年生まれの自分にとって、サザンの原体験だった。

それだけでなく、いま振り返るとゼロ年代を象徴するアルバムのように思える。本作をサザンの最高傑作にあげる人はほとんどいないと思うが、この作品を掘り下げると、ゼロ年代の日本が見えてくるような気がする。

【平成3年生まれにとってのサザン】

そもそも僕にとってサザンとは、当然ながら「上の世代のもの」だった。
最初に知ったのは親が買ってきた2000年の『TSUNAMI』で、8センチCDだったのでよく覚えている。

小学生の自分にとってはサザンや桑田佳祐=TSUNAMIの人だったし、『慎吾ママのおはロック』と同列のヒットソングだった。
中高生になると、それは「カラオケで友人から聴かされるもの」へと変わる。安っぽいカラオケ音源、モノマネした歌声、画面に表示される不必要に卑猥な歌詞は正直苦痛で、良いと言わなければならないという同調圧力の権化だった。この時に抱いたネガティブなイメージが、20年近く僕をサザンから遠ざけた。
もっともサザンだけではない。ブルーハーツ、ミスチル、GLAY、スピッツ、ゆず...お下がりをあてがわれるように、部屋を支配したのは過去の歌だった。登場した瞬間の「リンダリンダ」や「情熱の薔薇」は真に心を打つものだったに違いない。けれどもこの頃には、広告代理店にこすり倒され、自分に向けられた言葉には思えなかったし、リアルタイムを経験していない僕ら世代が「理解する」こと自体、おこがましいと感じてしまった。


実際、友人はベスト盤の『海のYeah!!』に入っている曲しか歌わないし、それで「良さを理解しているヅラ」が出来るおめでたさを軽蔑していた。

【サザンに抱いていた誤解の解消と下ネタの必然性】

そんなわけで、自分がきちんとサザンオールスターズを意識的に聴き始めたのはここ最近のこと。桑田さんがコロナ禍で執筆したエッセイ『ポップス歌手の耐えられない軽さ』を読んでからのことだった。

サザンや桑田さんに対しての多くの誤解があったことに気づき、1st『熱い胸さわぎ』から聴いてみると、たくさんの発見があった。

例えばバンドの演奏能力の高さ。関口和之のベースと松田弘のドラムを聴くためのアルバムと言っていいくらいだ。原由子のコーラスや、ギターでなくホーン・スペクトラムのブラスが牽引していくサウンドは今なお新鮮。
また歌詞もただ卑猥なのではなく、引用元のアメリカンロックを「日本の音」に組み替えるために必要なものだったのだと気づいた。

日本の夏特有のモワーッとした蒸し暑さ、潮風や砂が肌にベタベタまとわりつく不快感、そして常につきまとう閉塞感...米西海岸の陽気でカラッとしたサウンドをただ移植するだけでは、決して表現できない「湿気」を作るためのエロなのだ。
ちなみに、これと全く逆のアプローチをしていたのが大瀧詠一で、徹底して下ネタから距離を置いた。そのサウンドは常にカラッとしているし、彼にとっての夏は『A LONG VACATION』のような、架空のリゾート地にある虚構としての夏だった。

また大瀧が黒人音楽の本質を「ユーモア」だと捉え、70年代にノベルティ路線を取ったのに対し、桑田はブラックミュージックとは「どうしようもないシモの叫び」だと考えたのではないだろうか。どちらも音楽オタクでどちらも相当にシャイな性格だというが、「やっぱり女が最高」な桑田に対して、大瀧は音楽以外のことには心底興味がない人だったんじゃないだろうか。桑田がプリンスなら、大瀧はマイケルというか。

【サザンの本質はアマチュアリズム】

閑話休題。私が考えるサザンオールスターズの最大の魅力ーそれはアマチュアリズムだ。もちろん彼らはプロのミュージシャンだが、常に実験精神にあふれ、素人感覚を失わずに活動してきたはずだ。桑田が最も敬愛するビートルズがまさにそうだった。あるいはデヴィッド・ボウイも。当時からビートルズよりプロのインド音楽家はいたし、ボウイよりプロの実験音楽家はいた。でも僕は、「本物」ではないとしてもホワイトアルバムを聴くし、ベルリン三部作を聴きたい。

前置きが長くなってしまったが、では『キラー・ストリート』はどうなのか、である。『アビーロード』を意識したタイトルとジャケット。最高傑作に推す人も多い『KAMAKURA』以来の2枚組。表層的には、最もサザンらしい楽曲が詰まっていると言えるかもしれない。だが嫌な言い方をすれば、「AI桑田佳祐」に作曲させたみたいというか、最もサザンらしくないと感じるアルバムでもある。落ち着いていて、洗練されていて、クオリティは凄く高い。だが身も蓋もない言い方をするなら、『BOHBO No.5』を聴くなら、『マンピーのG★SPOT』を聴くし、『君こそスターだ』を聴くなら(桑田佳祐ソロ作だが)『波乗りジョニー』を聴くし、『雨上がりにもう一度キスをして』を聴くなら、『夕方Hold On Me』を聴くだろう。
全30曲というボリュームに対して、新鮮な驚きは少なかったというのが正直なところである。

ちなみに次作の『葡萄』では一転してサウンドがかなり実験的になる。ビートミュージックやオートチューンも取り込んだ野心作。「オジさんが無理してるだけじゃん」と笑うのは簡単だ。実際、いびつだし最高傑作だとも思わない。だがそれでも、サウンドではバンドの本質であるアマチュアリズムに回帰し、歌詞では平和についてこれまで以上に言及するなど、真の意味でサザンがサザンらしさを取り戻した作品のように感じた。

【ゼロ年代〜夢と停滞の消された時代】

ではなぜ、キラーストリートではそれが出来なかったのか。私はここに、「ゼロ年代」という時代を見ることが出来ないかと考えた。2000年代の日本を一言で表すなら「夢の継続」

漫画の世界を見てみると、週刊少年ジャンプの発行部数は年々減少していたが、それでも中高生の文化の中心にあった。ワンピースやNARUTO、BLEACHがヒットしたが、既に終了したドラゴンボールやスラムダンクが依然として読まれていたし、後に鬼滅の刃が登場することで、この時代の作品の評価は下方修正された印象を受ける。(NARUTOは海外人気が凄いので、今後再評価される可能性は大いにあるが)

次にプロレスだ。総合格闘技ブームも相まって、間違いなく不遇の時代だった。この時代の新日を支えたのが棚橋弘至や中邑真輔。特に棚橋がベビーフェイスとして王道のど真ん中で闘ってきたからこそ、のちのオカダカズチカや内藤哲也がいると断言できる。

プロ野球。2003年に松井秀喜がNYヤンキースに移籍し、そこから野球人気全体が低迷した。今では信じられないことだが、巨人の人気低下=プロ野球全体の人気凋落につながる時代だった。

テレビでは島田紳助が権勢をふるっていた。彼は2011年に引退するので、まさにゼロ年代を象徴する人間の一人だろう。ヘキサゴンでは「おバカタレント」を生み出した。その功罪についてもいつか検証したい。

音楽についても少し。実は現在よりも、ラップがカジュアルに聴かれていた時代だったように思う。RIP SLYME SOUL'D OUT BENNIE Kなどは、今では完全に日本のヒップホップの「正史」から消された感もある。他にもケツメイシやファンキー・モンキー・ベイビーズなど紅白に出場したアーティストもいた。(※Creepy NutsやAwichでさえ、未だ紅白には出ていない)

【王道としての責務を全うしたキラーストリート】

すべてをまとめるなら、停滞とそしてその後の歴史修正によって影が薄くなってしまった10年であり、ガラパゴス化が通用した最後の時代だった。
そんな時代にサザンは王道、メインストリームであることを求められたのだ。『キラー・ストリート』のかなりの曲はタイアップソングだし、様々な制約の中で、自己模倣的になるのも仕方ないのかもしれない。

だがそんな制約の中でも、少しでもチャレンジングなことをしようとする姿勢が、やはり尊敬できるということも併せて書かなければならない。例えば『神の島遥か国』は、琉球音楽にニューオリンズのリズムをチャンプルーした楽曲だ。

興味深いのは、これが細野晴臣のトロピカル3部作(沖縄)と大滝詠一の『ナイアガラ・ムーン』(ニューオリンズ)に対する桑田流のオマージュとマッシュアップのように感じられる点だ。というより、私は確信犯的にそこを意識してやっていると思う。そういうめちゃめちゃオタクっぽいことを、サラッとメジャーシーンの中でやってのけるのが凄い。

まとめると、『キラーストリート』はサザンオールスターズが時代の要請を受けて”プロに徹した”作品だったのではないだろうか。その重圧から解放されたからこそ、『葡萄』は必然的に実験的かつメッセージ性の強い作品となった。サザンは常に日本の写し鏡なのかもしれない。

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