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第92回アカデミー賞授賞式を振り返る

第92回アカデミー賞の授賞式が終わった。
作品賞プレゼンターのジェーン・フォンダの言葉通り、
いろいろと歴史が変わった年だったように思う。

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【予想は24部門中14部門的中】

 授賞式前、僕の受賞予想はこんな感じ。

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結果は24部門中14部門正解だった。
短編部門や、ドキュメンタリーは全く観てないので外しまくりだったけど、主要6部門を全部当てたのは嬉しかった。
 『パラサイト 半地下の家族』は、人生トップ級に面白いと思った作品だったので、この映画が快挙を成し遂げたという事実には、「そりゃ当然だろ」というのと、「この作品で本当に良かった」という思いがある。

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【作品賞≠1番面白いだったが...】

 ここ10年くらい、個人的に1番だと思った作品≠作品賞が続いていた。
 例えば2010年度は屈指の豊作イヤーで、『ブラック・スワン』もいい、『ザ・ファイター』もいい、『トゥルー・グリット』もいい。
『インセプション』や『127時間』みたいな画期的な作品、『トイ・ストーリー3』みたいな大傑作、『ウィンターズ・ボーン』や『キッズ・オールライト』みたいなスモール・バジェットだけど味わい深い作品もあった。
 個人的には『ソーシャル・ネットワーク』が1番好きだったが、受賞作はなんと『英国王のスピーチ』だった。個人的にはダントツで最下位の退屈なものだった。(好きな人いたらごめんなさい)

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 去年も『女王陛下のお気に入り』が演技のアンサンブル面でも、話や映像のフレッシュさでも1番好みだったのだが、受賞したのは『グリーンブック』。別に悪い作品ではないが、斬新さの全くないやり尽くした物語なのは否めないだろう。(好きな人ごめんなさい)

 だから、自分が一番面白いと思う作品が作品賞に輝くことに慣れていないので、戸惑いがある。しかもパルムドールとの2冠は64年ぶりの快挙国際長編(旧外国語映画賞)とのW受賞はもちろん史上初だ。
 他の映画がオスカーに照準を定め、ウケを意識しまくったのに栄冠を逃し、そうでない『パラサイト』がレースを制した。なんと痛快なことか。

 非英語映画が受賞したのには、幾つか要因があると思う。
 後述する「女性たちの不満」は間違いなく追い風になったと思うし、「まぁ今更この人に賞あげてもな…」みたいな大御所ばかりの人選も、新しい風を求める空気を生み出したはずだ。

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【“日本映画”を叩く風潮に一言】

 さて、わが国では授賞式直後に「日本映画」という言葉がTwitter上でトレンドになった。世界初の快挙を成し遂げたのがアジアの国産映画、しかもお隣の韓国だったということを嘆く内容が多かった。らしいな、と思う。
 素直に同じアジアの快挙を喜べばいいのに、

「なにやってんだお前らは!韓国に負けて悔しくないのか!」

と自国の映画を貶める。

 アカデミー賞とは離れるが、この風潮に物申したいところがある。まず批判している人たち。そういう人達ほど普段そんな映画観てないですよね?
 前に書いたけど、僕の去年の映画ランキング1位は『バーニング 劇場版』で、おととしの2位が『1987 ある闘いの真実』だ。韓国映画のレベルがいかに高いかなんて、随分と前から自明の理です。昨日、今日で水をあけられたわけではありません。

 それに邦画だって素晴らしい、と僕は本気で思う。別に権威主義では無いけど、現につい2年前に是枝監督がパルムドールを獲ったばかり。
「昔の日本映画は良かった」的な論調の人に言いたいけど、今の方が役者の演技はずっと上手いよ。「この監督の最新作なら観ないと」と思わせてくれるクリエイターも多いし、一括りに「日本映画=質が悪い」という意見は浅薄な印象を受けます。

 一方で、言いたいことも分かる。人気小説や漫画の安易な実写化だったり、「〇〇ザ・ムービー」系の映画愛のなさだったり。洋画配給にしてもワケわかんねー邦題をつけたり、映画と全然関係のない芸人を使った宣伝だったり。そんな映画業界に対しての違和感は僕も感じるところではある。
 ただ、それって現場の人間だけの責任でしょうか?結局、観客のリテラシーが低い(あるいは作り手側から、そう過小評価されている)ことこそ、この悪循環の根本ではないですか?映画という娯楽芸術は観客なしには成立しえないもの。安全区域から批判してるつもりでも、それは結局自分自身を貶めていることになってやしないでしょうか?

【ブラッド・ピットとロバート・レッドフォードのレガシー】

 と、お小言はこれくらいにして本題。今回のアカデミー賞はいったい何だったのか、ということについて考えてみる。『パラサイト』という華々しい結末の陰に隠れがちだが、見落としてはいけない要素がいくつもあったので、それを中心に書いていく。

 まずはなんといってもブラッド・ピットが悲願の初受賞を成し遂げた場面。「45秒しか」貰えなかった彼のスピーチで、僕が注目したのは子どもの頃にドライブインで観たという『明日に向かって撃て!』の引用だ。

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 ブラッド・ピットといえば、2枚目俳優の代名詞的な存在。デビュー当時の彼は、見た目が似ていることからロバート・レッドフォードの再来と言われることが多かった。

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 この2人は単に似ているだけでなく、実際に師弟関係と呼べるほどの強い絆がある。『スパイ・ゲーム』でも共演しているし、ブラピは自らのキャリアや人生相談をする間柄だと公言している。

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 さてロバート・レッドフォードのレガシーを考える時に、彼がただのイケメン俳優で終わらなかったということを強調しておきたい。監督に転身して『普通の家族』でアカデミー作品賞と監督賞をW受賞するなど大成功した。
 何よりサンダンス映画祭という、インディーシーンの有望株をフックアップするイベントを立ち上げた(『明日に向かって撃て!』で自らが演じたサンダンス・キッドの名にちなむ)。

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 ブラッド・ピットの近年のキャリアをみれば、彼がいかにレッドフォードから影響を受けているかは一目瞭然だ。プロデューサーとして、『それでも夜は明ける』で作品賞を受賞。彼の製作会社「プランBエンタテイメント」は、次世代の映像作家に多くのチャンスを与えた。その中にはNetflixで『オクジャ』を撮ったポン・ジュノも含まれる。

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 目配せのような言及にとどまったが、レッドフォードのレガシーを受け継いだブラピが、さらに映画界にポジティブな影響を与える未来が想像できて、とても多幸感のあるスピーチだった。ブラピ、本当におめでとう!

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【トリビュートされたジョン・ヒューズ&リンチについて】

 それから、もっともっと細かい所に着目してみた。エミネムのサプライズ登場前、リン=マニュエル・ミランダがプレゼンターとして、映画と主題歌の話をする。その際にジョン・ヒューズの名前を挙げて、ブレックファスト・クラブのエンディング曲「Don`t You」の一節を歌ったのだ。


 その後、モンタージュ映像と共に『ボディガード』や『ゴースト/ニューヨークの幻』など日本でもおなじみの曲が流れるのだが、ここでも『ブレックファスト・クラブ』は登場する。
 以前、noteで『ブレックファスト・クラブ』や監督のジョン・ヒューズが最近やたらと引用される話をした。『レディ・プレイヤー・ワン』でスピルバーグ御大までがオマージュを捧げるなど、いまハリウッドはかつてないジョン・ヒューズ再評価の気運が高まっている


 以前までの彼の作品は、賞レースや映画評論の舞台から完全に無視されていた。最近だと新海誠監督作品も、そんな傾向にあると思う。メガヒットし過ぎているが故にやや軽いものに見られているが、実際のところ語っていることは結構過激な感じも含めて。

 だけどリン=マニュエル・ミランダが、わざわざスピーチで言及したくらい『ブレックファスト・クラブ』は大傑作だし、以降の作品に多大な影響を及ぼしている。あの映像が流れた瞬間、アカデミー協会のスノッブな連中は、しれっとジョン・ヒューズの価値を上方修正した。大勝利だ。

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 同じように、これまでアカデミー賞とは無縁だった人がひっそりと表彰された。名誉賞のデヴィッド・リンチだ。説明不要の巨匠かつ、僕が映画を好きになるきっかけになった作家でもある。特に映画のアート的側面を押し広げた点では、好き嫌いを別にして彼ほど影響力のある人はいないだろう。

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 リンチ作品は大ヒットはしない代わりに、一部で熱狂的に支持されるタイプのため、映画会社が喜んで手を組みたいものではなかった。リンチ自身、そういうハリウッドの商業主義を『マルホランド・ドライブ』で皮肉ったし、『インランド・エンパイア』は、自主制作と言っていいレベルで手作り感満載だった。

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 当たり前だが資金が無ければ映画は作れない。どんな優秀な映画監督でも、「好きなだけ自由にやっていいぞ」とポンと金を出してくれるパトロンなんていない、はずだった…Netflix以前の世界では
 リンチのレガシーは、ブレずにアーティストとしての姿勢を貫いたことだと思う。時代が彼に追いつき、作家性と資金の担保という環境は整った。惜しむべきは、リンチ本人が年齢を重ねてしまったことだ。もしこの変化がもう少し早ければ、彼の凄まじい映画をあと何本か観れたのに。

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 ジョン・ヒューズも、デヴィッド・リンチも、強烈な作家性で唯一無二の存在となった映画人だ。彼らが再評価されたことと、『パラサイト』の受賞も、無理やり結びつけようと思えば結び付けられる。「自分が本当に面白いと信じたものが正当に評価されるべき」という、アカデミー賞の新たな姿勢をそこに垣間見ることが出来る、というのは深読み過ぎるだろうか。

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【番外編:エミネム登場もシラケる会場】

 授賞式そのもののパフォーマンスについて、あまり触れていなかった。
 個人的にはやはり司会は必要だと思う。ノミネートを紹介するプレゼンターをさらに紹介するレポーター、みたいな段取りは明らかに変だった。
それに圧倒的にボケ不足というか、『キャッツ』のコスプレぐらいしか分かりやすい笑いが無かった気がする。

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 クリス・ロックも言ってたけど、PC(ポリティカリー・コレクトネス)でガチガチになって、失言しないことが最優先みたいな空気があった。
   ホアキン・フェニックスもレネー・ゼルウィガーも、スピーチの内容自体は真っ当で正しい。だけど冗長で退屈だった。だけど、PC最優先だから、会場は大歓声。う〜ん、そういうことでもないんじゃないかなぁ。


 これを最も強く感じたのがエミネムのライブだった。世代的にLose Yourselfはドンピシャで、初めて真剣に歌詞を覚えた洋楽ソングでもある。イントロの瞬間から鳥肌が立ち、さぞ会場もアゲアゲなことだろう。と、思ったら、抜かれるセレブリティ達の顔のなんと冷めたることか。
 怪訝そうな顔のビリー・アイリッシュや、寝落ちするマーティン・スコセッシは世代的に仕方がないとしても、イディナ・メンゼルは眉をしかめて露骨に嫌悪感を示していた。

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 結局、演奏後にスタンディング・オベーションが起こったものの、演奏中の微妙な雰囲気はなんか見ていて可哀想だった。


 今でこそトランプを批判したり過去の同性愛者への差別的発言を反省するなど、丸くなった感のあるエミネム。しかし全盛期にゴリゴリのミソジニー(女性蔑視)な歌詞を連発したイメージが強いのだろうか、手放しで歓迎されるゲストでは無かったのかもしれない。下手に彼を支持すると叩かれるかもしれないという警戒心が働いた可能性はある。


 逆に非白人俳優達ほど、男女問わずに曲を口ずさみながら縦ノリしていた。『8mile』は、マイノリティの白人ラッパーが、実力で自分の価値を証明していく映画だし(というかエミネム自身の半生なのだが)、それは正にハリウッドの世界で非白人達がチャレンジしてきたことに重なる。
 Lose Yourselfとは「自分自身が迷子になるくらいに、のめり込め」という意味で、普遍的な応援歌だと思うし、それを単純に楽しめばいいのにね。


 何よりエミネムは新曲Godzillaでも超絶テクを披露するなど、常に自己ベストを更新し続ける男。その彼が、17年前の懐メロをあえて今歌ったこととか、Fワードでちゃんとマイクを外したりとか、メチャクチャ大人な対応をしていたことが印象に残った。彼は悪くないと思うのは僕だけだろうか。

【女性プレゼンター達が忍ばせた監督賞への怒り】

 PCについていえば、相変わらず「Oscar So White」で黒人のノミネーションは『ハリエット』のシンシア・エリヴォだけ。アジア人に至っては、『パラサイト』があれだけ評価されておきながら1人もいなかった。
  人種の格差については、スパイク・ジョーンズがプレゼンターだったので言及するかと思いつつ、コービー・ブライアントに敬意を表するレイカーズ・カラーのスーツを着たぐらいだった。

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 代わりに、不穏だったのが女性プレゼンター達。まずクリスティン・ウィグとマヤ・ルドルフが「私達は怒っています」と切り出した。
「どういうこと?」と思っていると、「優秀な監督達に自分達がコメディ以外の演技も出来るところを見せたくて」と、これが怒りの「演技」であったことを強調。その後、泣いたりシリアスな表情をしたりして笑いをとっていた。

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 「なるほど、そういうことね」ー思わずニヤリとした。
確かに2人は元芸人だが、今やすっかり女優の第一線で活躍している。
演技の証明など必要がない。そうではなくて彼女達は実際に怒っている。
何に?ー監督賞に女性監督が1人もノミネートされなかったことだ。

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 今年の監督賞にノミネートされたのは、受賞したポン・ジュノに加えてマーティン・スコセッシ、クエンティン・タランティーノ、サム・メンデス、トッド・フィリップスの5人。『ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語』のグレタ・ガーウィグはノミネートされなかった。

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 クリスティン・ウィグ達が「優秀な監督さん達」に証明したかったのは、自分たちの演技力というより「女だってできんだぞ!」ってことだと思う。しかし、ここが重要なのだが、2人はそれをハッキリと異議申し立てするのではなく、ジョークの中にひっそりと忍び込ませたのだ。

 もう1人、監督賞の結果に不服を示した女優がいる。ナタリー・ポートマンだ。既にニュース記事になっているのでそちらを参照して欲しい。ここでもポイントは、彼女は授賞式の舞台でハッキリと声明したのではなく、ファッションというやや婉曲的な表現を使っていることだ。

 ここからは僕の推測だが、グレタが監督賞にノミネートされなかったことを女性蔑視だとする論調に、他の女性業界人がそこまで同調出来なかったのではないだろうか。
 というのも、作品賞を除いてノミネートはMAXで5作品までなので、グレタを入れるなら誰かを外さなければならない。しかし、監督賞にノミネートされている人達は全員が超ビッグネームで、素晴らしいキャリアとフィルモグラフィを誇っている。対してグレタの監督作は、『レディバード』と今回の若草物語のまだ2本だけだ。
 もちろん『ラ・ラ・ランド』でデミアン・チャゼルが受賞したように、それが圧倒的に大傑作であれば過去の経歴は関係ないが、衣装デザイン賞のみの獲得に終わった若草物語にはそこまでの力が無かった。
 まとめると、女性監督の未ノミネートを「不公平」だと言っても、同意を得るのは難しい。しかし、何とか自分のアティチュードは見せておきたい。そのような考えが、彼女達の行動につながったのではないだろうか。

 個人的には、キャスリン・ビグローの『デトロイト』が監督賞にノミネートされなかった時にもっと怒っとけよと思う。正真正銘の大傑作だったのに、完全にスルーされたじゃん。


 と思って調べてみたら、その年にグレタが『レディバード』でノミネートしていた笑。う〜ん。だからこの問題については、やっぱりまだそこまで怒るテンションになるほど冷遇されてもいないのだ。


 フェミニズム視点でもう1つ、触れないわけにはいかないのが作曲賞のプレゼンター。シガニー・ウィーバーとガル・ガドッドとブリー・ラーソンの闘う女トリオだ。

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 キャプテン・マーベルとワンダーウーマン夢の共演。特にブリー・ラーソンは、セクハラ問題でプロップスを落としたまま主演男優賞を受賞したケイシー・アフレックへの拍手を拒否するなど、当て書き感ハンパない好戦的なファイター。壇上でいったい何を語るのか、注目していたが今回は割と抑え気味でした笑。

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 シガニー・ウィーバーは92年の歴史の中で、初めて女性指揮者がノミネート曲の演奏を指揮することを声高にアナウンス。その際、ガル・ガドッドが「Finally!」(ようやくよ!)と相槌を打った。
 演奏が終わると、会場からスタンディングオベーションが。そりゃそうだ、ここで立ち上がらなければその人はミソジニスト認定待ったなし。ちょっとどうなの?ってぐらい過剰に手を叩く白人のオジさん達である。

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 しかも作曲賞を受賞したのは『ジョーカー』のヒドゥル・グドナドッティルで、唯一の女性ノミネーションだった。
「ほら見たことか!」と嬉しそうなプレゼンター3人。
 彼女は、壇上にあがりひとしきり喜びと感謝を述べた後、
最後に働く女性を讃歌する言葉でスピーチを締めくくった。
会場はまた割れんばかりの喝采を送る。そりゃそうだ。
 おそらく、彼女が女性という理由で投票した人達も一定数いる。
この流れでここに触れなければ、「なにあの女?」とにらまれるのは間違いないだろう。

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 うーん、しかしどうだろう。僕は複雑な気持ちになった。ヒドゥル・グドナドッティルのことは良く知らなかったが、彼女の師匠で急逝したヨハン・ヨハンソンは僕の大好きな作曲家だ。
『メッセージ』や『ボーダーライン』など、ドゥニ・ヴィルヌーヴ作品での仕事ぶりは素晴らしい。そしてこれらの作品に、彼女も関わっていたといえば、「えっ、めっちゃ凄い人やん!」と見方が一気に変わる。

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 実際『ジョーカー』の音楽は凄い。なにが凄いって、ホアキン演じるアーサーが踊る印象的なシーンは、彼女の曲を聴いてホアキンがアドリブしたものだからだ。この音楽があったからこそ、あの演技があったわけだ。つまり「女性唯一の」とか抜きで、普通に素晴らしい仕事をしたまで。男と女の代理戦争というわけではないのにね。

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【終わりに:シアーシャ・ローナンが少し心配】

 ということで、第92回アカデミー賞は『パラサイト』の躍進というメインストーリーの裏側で、フェミニズムの問題が不発弾となった感があった。
 これは翌年に持ち越しになる可能性があるし、あるいはもう少し先のテーマになるかもしれない。
 ちなみに僕が今年1番好きだったスピーチは、実はプレゼンターのオリヴィア・コールマンの何気ない一言だ。

去年、主演女優賞を獲得した時、「夫が」人生最高の夜fだと言ったの。
私は子どもを3回産んだけどね。

 つまりオスカー像よりも、夫婦の営みの方が大切だというジョークだが、サラッとこういうウィットに富んだ&庶民でも共感できる言葉をチョイスし、なおかつ笑いを取る所が最高にカッコ良かった。

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 そういえばNetflixは去年ほどの存在感を示せなかった。『アイリッシュマン』に関しては、オスカー経験者のオールスター作品で、「もう今更アイツらに獲らせなくてもよくね?』というコンセンサスがあったのかもしれない。とはいえ2作品を送り込んだ点で、着実に地場を固めているし来年いよいよ本格的なインベイジョンが始まるのかもしれない。


 それからノア・バームバックとグレタ・ガーウィグ。夫婦で監督作品がアカデミー賞にノミネートとか、どんだけ才能溢れるコンビなんだよ。『ヤング・アダルト・ニューヨーク』に感情移入した、あの感動を返せ笑!

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 カップルといえば、ラミ・マレックとルーシー・ボイントンはまだ続いていたみたい。ルーシーに至っては、彼氏がプレゼンターってだけでシャーリーズ・セロンの後ろの特等席に座っちゃう厚顔無恥っぷりが凄い!
(褒めてます、いやただの僻みです笑)

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 それから受賞しなかったけど、スカーレット・ヨハンソンが主演&助演で初ノミネートしたのは嬉しかった。今までノミネートされてなかったことが信じられないほど大好きな女優です。

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 あと少し心配なのが、シアーシャ・ローナン。今の若手女優の中で一番好きだし、去年の『Mary Queen of Scots』での演技も本当に素晴らしかった。
    あまりに天才過ぎて、まだ25歳なのに既に3度もアカデミー賞にノミネートとかヤバ過ぎて笑う。
   のだが、これほど凄いと逆に「まあまだ若いから次の機会で」的に受賞を見送られてしまうんじゃないだろうか。

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 こんな感じで、最後は駆け足になったけど今年のアカデミー賞を振り返ってみました。まだ受賞作を全部観れているわけではないので、そこもゆっくりとキャッチアップしたいと思います。
 あ、そういえば今年はメリル・ストリープいなかったなぁ。スピーチでイジられる度に彼女が抜かれるのが、食傷気味だったけど、無ければ無いで少し寂しいものですね笑。

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