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椎名林檎『NIPPON』(2014年)の歌詞はなぜ右翼的だと誤解されたのか


【はじめに】

2014年のサッカーブラジルW杯のNHK公式テーマソングとなった、椎名林檎の『NIPPON』。発表直後から、歌詞が右翼的であり、民族主義を助長する危険があると多方面で批判された。

さらに問題続きだった東京オリンピックの総合演出チームに参加したことで、椎名林檎=愛国心の強過ぎる人イメージが定着したように思う。(※結局チームはゴタゴタの末20年12月に解散したため、彼女は本番の演出には関わっていない)

だが、果たして本当にそうなのだろうか。個人的には彼女は一貫してノンポリだと考える。先に結論を言うと、椎名林檎は「永遠の中二病」であり、思想的・政治的な意図を持ってあの詞を書いたのではないということ。
原因は主に、
・NHK側の発注に彼女なりに真剣に応えた
・彼女特有のイキりが、いつも以上に「かかって」しまった
の2点だと考える。

【①.NHK側の発注に真摯に応えた『NIPPON』】

『SWITCH』のインタビューによると、彼女はNHKから

・サッカー日本代表(男子・女子)を応援する曲にして欲しい
・イメージカラーの青という言葉を入れて欲しい
・『群青日和』のテンポやコード感が理想

など、かなり具体的な依頼を受けたという。随分要求するな(しかも彼女クラスのアーティストに)と私なんかは思うが、椎名林檎はそれに応えるだけでなく、相当の力を入れて楽曲制作に取り組んだようだ。その背景には、彼女がアーティストであると同時に個人事務所の社長として社員を食わせていかなければならないという責任感があったのかもしれない。

いずれにせよ、この曲が発注ありきのプロダクト(商品)としての性質が強いことは頭に入れなければならない。NHKとしては2010年のW杯の時のSuperflyの『タマシイレボリューション』のように、アップテンポで全員が乗れるチューンを期待していたと思うし、もし仮に日本代表がこの年に好成績を収めていれば『NIPPON』も名曲になっていたかもしれない。

具体的に歌詞を見ていこう。

さいはて目指して持ってきたものは唯(たった)一つ
この地球上でいちばん混じり気の無い気高き青
何よりも熱く静かな炎さ

この部分、深読みする必要はまったくない。「さいはて」は日本の真裏にあるブラジルのことだし、発注通りサムライブルーの青を歌詞に盛り込んでいる。だからこの3行は「日本代表一行がブラジルにやってきました」以上のことはなにも言っていないのだ。
それに、もしここに政治的意図を込めたければ、青ではなく、日の丸を連想させる赤を使うべきだ。なんの歴史的文脈もない、電通とキリンビールがでっちあげたに過ぎない青を、「この地球上でいちばん混じり気が無い」とするのは、歴史認識以前の問題だと私は感じる。

もっとも、『NIPPON』はただ発注に応えただけの曲でもない。そこには彼女の自意識が多分に垣間見える。

【②.単なるイキリが間違って解釈された】

嗚また不意に接近している 淡い死の匂いで
この瞬間がなお一層鮮明に映えている
刻み込んでいる
あの世へ持って行くさ 至上の人生 至上の絶景

「特攻を連想させる」という批判は流石に言いがかりだろう。一方で、「サッカー日本代表を応援する曲のはずなのに、なぜ死?」という疑問ももっともだ。ここで彼女は色々な反論をしているが、「単に中二病だから」以上の答えにはなっていないと思う。
思春期に死について考えることは誰にでもあるだろう。世間的な常識を当てはめれば、36歳で14歳の子どもを持つ成人女性(当時)が未だに思春期を引きずっているとは考えづらいが、そういう常識を特異なアーティストに当てはめようとすること自体が間違いだ。

そもそも「ああ」をわざわざ「嗚」と表記したり、文法的に正確でない古語を多用したり、(紅白で一人だけ歌詞テロップを縦書きの明朝体フォントにさせたり...)中二病以外の何物でもない。
古語の多用は右翼的だと誤解される要因の一つだが、強調したいのは彼女は英語もめちゃくちゃ使うということだ。

【③.古語と英語の多用と文法ミス】

Hurray! Hurray!
The wind is up and blowing free on our native home.
Cheers! Cheers!
The sun is up and shining bright on our native home.

ネイティブスピーカーではない私が呼んでも違和感たっぷり。
例えば、The sun is shining brightは文法として間違っている。brightlyと副詞でなければならない。(それこそ中学2年生レベルの文法だが)
ここからも分かるように、この曲の歌詞は「あまり深読みしてもしょうがない」類だと思う。

さて椎名林檎はノンポリだと思うと前述したが、少し語弊があるので補足したい。彼女には一般の右・左のイデオロギーでは定義できない、独自の「美意識」が存在する。それは『キラーチューン』の歌詞に集約されている。

【④.豊かさへの美意識&90s的露悪表現がさらに誤解を招く】

「贅沢は味方」もっと欲しがります
負けたって勝ったってこの感度は揺るがないの
貧しさこそが敵

「豊か」、「貧しい」は、彼女が頻繁に使用するワードで、『NIPPON』の歌詞に対する批判にも「貧しい」と反論しているし、東京オリンピックについても「この国の豊かさを世界に示す舞台」だと答えている。

もう一つ、彼女を説明する上で不可欠なのが、90年代を引きずり続けているという点。特に露悪的・露骨に性的な表現には非常に90sみを感じる。
上記『キラーチューン』にしても、戦時下の標語である「欲しがりません勝つまでは」を引用していることに、反戦的なメッセージや民主主義的なメッセージがあるわけではない。ギョッとするような、通常なら忌避される言葉を「あえて入れる」ことがカッコいいという自意識に他ならない。

この「特殊な美意識」と「90年代的露悪表現」が組み合わさるから、彼女の言葉に慣れ親しんでいない人は誤解するのだと思う。私は椎名林檎が資本主義を手放しで肯定したり、日本が「豊か」だと妄信しているとも思わない。その証拠に『キラーチューン』には、

ご覧、険しい日本(ここ)で逢えたんだ

という一節がある。彼女は自身の音楽で、それを聴いてくれるファンに少しでも「豊かさ」を与えたいーそんな使命感で活動しているはずだ。

【⑤.イチローとの共通点 イタいことが強さ】

それは彼女がイチローを敬愛していることからも分かる。この2人、何度かテレビでも対談しているが、私はめちゃくちゃ似た者同士に思える。

2007年2月23日放送 『僕らの音楽』より

2009年の第2回WBCで日本が世界一になった時、私は高校3年生だった。当時、野球部の同級生に「イチローって率直にどうなの?」と聞いたところ、返ってきた答えが印象的だった。

めちゃくちゃイタいおじさん。
でも世界一野球が上手いから誰も文句が言えない。

なるほどな、と思った。確かに試合直後のインタビューのあのチョケ具合。
メディアは「感情を見せないクールな天才が、初めて人間的なところを見せた」という風に伝えていたが、15年経って冷静に映像を見返すと、イタいかイタくないかでいえばイタい。

(私も含め)大衆は、偉人には能力や実績に匹敵するくらいの人間性が備わっている、あるいは備わっていて欲しいと期待してしまうものだ。
しかし、世間の常識やモラルに縛られないところで、ひたすら一つのことに打ち込んだからこそ到達出来る領域もまた確実に存在する。
椎名林檎も、どちらかと言えばその類のアーティストではないか。

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