人生最後の日にガッツポーズして死ねるたったひとつの生き方
8.15読了 ひすい こたろう 著
人生最後の瞬間、これまで得たモノ、すべてを手放すのが人生のゴールです。
しかし、人生最後の瞬間、持って還れるものが一つだけあります。
それが「思い出」です。人生最後の日、あなたはどんな「思い出」を持って還りたいですか?
▼大きな石は君にとって一番大切なもの
「先に大きな石を入れないと、それが入る余地、そのあと2度とないということ。
この壺は人生そのものを示している。では、私たちにとって、大きな石とはなんだろう?それは仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家族であったり、自分の夢であったりする。つまり、『大きな石』とは君にとって一番大切なものだ。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと君たちは、それを永遠に失うことになるだろう」
大きな石が決まっている人は、やらなければいけないことに追われる人生ではなく、やる価値のあることを追いかける人生を送れる。
時間の奴隷として、時間に振り回されて生きるか、時間の主人として、時間を活かして生きるか。
お金よりも大切なのは、「時間(命)」です。
当たり前のことをみんな忘れてる。
人生で幸福を大きく左右するのは、生きる目的。
つまり、「生きる理由」が明確になっているかどうかが、幸せか否かを分ける最重要の要素なのです。
▼さぶらう
「サムライ」の語源は「さぶらう」という動詞です。
「さぶらう」とは、「大切なものを守る」という意味です。
時代に翻弄されるか、時代を創造していく側にまわるのか。
▼吉田松陰
「自分の心がそうせよと叫ぶなら、怯むことなくすぐに従うべきだ」
なんのために学ぶのか?
あくまでも大切にしたいものを守るためです。
「君は、なんにために学ぶのか?」これが松陰が松下村塾で門下生に真っ先に問うた質問。
「どんなに嘆いても過去を変えることはできない。しかし、未来なら変えることができる」と、部下の命に報いるにはこれしかないと気づいた。
牢屋に入れられたが、そこでもう勉強し、外に出た時のために学問を広めて行った時の言葉。
「たしかに、僕らはもう二度と太陽は見られないかもしれない。でも、死のうが死ぬまいが、学ぶしかない。
知って死ぬのと、知らずに死ぬのは違うんだ。そこに人としての喜びがある。」
牢獄の中では、行動は自由にできませんが心は自由です。
獄なら獄でできることをすればいい。
立志(生きる理由)志を立てさせた。
「何を目指すのか」よりももっと大事なのは、「なぜ目指すのか」
なんのためにそれをやるのか?なんのために生きるのか?
つまりは「生きる理由」。
それはそのまま、人生を「諦めない理由」となる。
「世の中に本を読む人は多いのに、本物の学者がいないのは、学問をする最初の志がすでに間違っているから」
「井戸を掘るのは水を得るためで、学問をするのは人の生きる道を知るためです。水を得ることができなければ、どんなに深く掘っても井戸とは言えないように、人の生きる正しい道を知ることができなければ、どんなに勉強しても、勉強したとは言えないのです。」
▼吉田松陰スタイル
「教えることはできませんが、共に講究していきましょう」
門下生同士を「対等の友」とし、重視されていた上下の縦の社会を、横の友の関係に変えた。だから自身も、生徒のことを弟子と言わずに友人として「諸友」と呼んだのだそう。
私は先生ではない、友だと。だから門下生を呼び捨てにせずに「〜さん」と呼んだ。
「先生など存在しない。お互いに教育し合いながら、前へ進めば良いのだ」
私のことを「僕」、あなたのことを「君」と呼びだしたのも、実は吉田松陰が最初。
本来、漢文では僕とは「しもべ」のこと、君とは「主君」のこと。どんな相手だろうが、自分を下において、相手を主君として立てて付き合うために呼び名を開発した。
「ココロザシ」あれば身分は一切関係ない」人はみな平等。
自分の誠を尽くして説いて、動かない人がいるのだろうか
松陰は最後に、自らの命を持って門下生に突きつけた。
「僕は自分の本心ど真ん中を生ききった。君たちはどう生きるんだ」
「知るだけではダメだ。知ったことを実行することが大事だ」
「一度敗れたからといって挫折してしまうのは勇士と言えないではあるまいか」
「武士は守死であるべきだ」
「守死とは常に死を維持していることです。人は必ず死にます。何もなさなくても死にます。ならば、本当はどう生きたいか?
なんのためにこの命を使うか?いつも、そのことから軸をブラさずに生きよ」ということ
▼吉田松陰が松下村塾の床下に刻んだ言葉
「一万冊に及ぶほどの本を読んで勉強しなければ、千年の歴史に名を残す人となれようか。自身の労を惜しまず積極的に働くような人でなければ、どうして天下の人々を安らかにできようか」
なんのために生きるのか?
なぜ、それをするのか?
何を成すために生きるのか?
あなたが生きることで、どう世界はよくなるのか?
あなたが生きることで、誰が笑顔になるのか?どんな人が幸せになるのか?なんのために生きるか?
誰にとって、どんな存在でありたいのか?
あなたがこの人生で大切にしたいことはなんでしょう?
▼高杉晋作
英語の「Success(成功)」の動詞は「Succeed」。意味は「引き継ぐ」です。
真の「成功」とは、「引き継ぎ、受け継がれていくもの」だということです。
そして受け継がれるものは「志」です。
▼野村望東尼
・禅の教え
「避けることのできない苦しみを避けようと思わないこと。満たされることのない欲望を満たそうと思わないこと。四苦八苦をそのまま受け入れる覚悟が大事。現実をしっかり受け止めて前向きに生きる」
変わっていくことを恐れていたら、不幸はどこまでもつきまとう。だから、避けることのできない悲しみを、避けようと思わないこと。ありのままを、ありのままに受け止めることから始める。」
松陰の言葉
「死ぬことによって志が達成できるならば、いつ死んでもいい。生きていることで大業を成せる見込みがあるならば、なんとしてでも生き延びる。生きるも死ぬも、どちらでもいい。大切なのは、成すべきことを成すことだ。」
「学者になってはいけない。人は行動が第一である」
▼人生が問いかけてくるもの
心理学者ヴィクトール・フランクル
私たち人間がすべきことは、生きる意味はあるのかと人生を問うということではなく、さまざまな状況に直面しながら、その都度「人生から問われていること」に全力で答えていくことが大事であると。だから、人生に意味があるのかと問うのではなく、「この人生から、自分は今何をすることを求められているのか?」と問うのです。
人間は、人生から問われている者である。
起きた現実のなかに、人生から問われているテーマが隠れています。それはどん底の時ほど隠れています。
人生は「点」で見ると幸、不幸は存在しますが、「流れ」の中で見ると、そこには幸、不幸はなく、全ては伏線、全ては人それぞれのテーマを体験するための「物語」であるとも言えます。
▼若者・馬鹿者・よそ者
革命がおきるとき、そこには“3つの者”が必要になると言われる
・若者
・馬鹿者
・よそ者
▼坂本龍馬
「自然堂」:ゆったり、優しく、まあるく、弱い立場の人を考える
人はみな死ぬ。人生のゴールは死。
ならば本心が望ように思い切り生きたい。
「決断」とは、決めたら退路を断つと書く。
「死は自分で決める者ではなく、天が決めるもの」
「私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」
▼アウフヘーベン
「あるものを、そのものとしては否定しながら、さらに高い段階で生かすこと。矛盾するものをさらに高い段階で統一し、解決すること。
「死」を見つめることで、生きる理由、
「志」を見出し、自らの人生を
「詩」にするんです。その時、あなたの本当の運命が
「始」動し、そこで出会った人々と
「糸」で結ばれ、公と
「私」が一つになる生き方を通して、この星の新しい
「史」が刻まれるのです。
☆「人生で一番大事な日は二つある。生まれた日と、なぜ生まれたかがわかった日である」マーク・トウェイン(作家)
☆一番大事なものに一番大事な命をかける 相田みつを
☆死に物狂いで生きるのは、権利じゃなくて、義務だ。 伊坂幸太郎『終末のフール』
☆The readiness is all 「覚悟がすべてである」シェークスピア『ハムレット』
☆瞳に涙がなければ、魂に虹はかからない ネイティブアメリカンの言葉
☆革命は些細なことではない。しかし些細なことから始まる。
☆みんなが「自分だけ幸せ」を求めれば、みんなが不幸になる。みんなが「みんなの幸せ」を求めれば、みんなが幸せになれる
https://room.rakuten.co.jp/room_taku_koko/1700129865392395
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