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【やってみた】インドに行ったら人生が変わるのだろうか?


牛、痩せた牛、痩せて首の皮がびろびろに伸びている牛、痩せているにも関わらず車よりも速く走る牛(車が遅いというせいもある)、道端のゴミの山をあさっている牛、牛車としてドナドナのようにリアカーを引っ張っている牛、道端に寝そべって通せんぼしている牛、通せんぼしている牛を避けて角を曲がったらまた通せんぼしている牛、また角を曲がったら今度は糞尿をけたたましい音で放出している牛、その豪快な糞尿が突然の激しいスコールで流されていく。

そのとき僕は29歳で人生に絶望していた。

絶望という単語は簡単に使用することは阻まれるけれど、たしかに個人的には絶望していた。20代の最後の1年間を無職で過ごした。ずっと部屋のなかでシビライゼーションというPCゲームをしていた。シビライゼーション。文明。まったくもって素晴らしすぎるゲームだ。僕は初期のPSのシリーズ2からずっと愛好している。人類の歴史を、その石器時代から宇宙旅行までをたどっていく長大なシミュレーションゲーム。知識、科学、戦争、領土拡大、資源奪取、人口増加、食料生産、環境汚染、そして最終的に宇宙に移民したら勝ち。

狭いワンルームの木造アパートで、僕はひたすらにプレイしていた。神になった気分だった。8畳の部屋に地球があった。寝ている間以外はずっとマウスを操作していた。プレイの開始時に国家とリーダーを選択する。僕はインドでガンジーを選択した。

500時間ぐらいプレイして思い立った。もうすぐ梅雨明けしそうな夏の始まりの朝に。

そうだ、インドに行ってガンジーになろう。


知らない国の知らない空港に降り立ってまず思うことは、空気の違いだ。暑さと匂い。日本の夏とはあきらかに違う。気温と湿度が関係しているのだろう。カラッと暑く、けれども湿っていて身体にまとわりついてくる。

匂いは現地の食べ物と現地人の体臭と現地の大地から醸し出されるのかもしれない。インドのそれは悪くはなかった。

国際空港は成田空港とはまったく規模が異なり、日本の地方空港みたいな雰囲気だった。正面玄関から外に出て、リムジンバスを探す。どこにも見当たらない。標識を探して、他の観光客の後を追うと、リムジンバスとは名ばかりの、僕が子供のころに乗っていた床が木造のバスよりもさらに古いバスがあった。エアコンもなくて窓がすべて開けられていた。外気温は35℃。いいだろう、と僕は思った。ここはインドなのだ。エアコンのない木造の床のリムジンバス。最高じゃないか。


インドに行って人生が変わるというのは、ある意味本当で、ある意味嘘だ。変わるときはどこにいても変わる。変わらないときはインドに行っても変わらない。そもそも、と僕は思った。人生が変わるというのはどういうことなのだろうか?

それまでニートだった若者が、ある日突然に仕事を始めて出世して大金持ちになる、ということだろうか。たしかにわかりやすい。でも人生というのは、そんなに単純にはいかないのだ。少なくともサンプルのひとつはここにある。

僕はインドから帰国しても、極度の下痢による体調不良が続き(おそらく赤痢だった)、相変わらず寝たり起きたりの生活を繰り返していた。でもシビライゼーションを起動することはなかった。


往復の航空券だけを手配してインドに向かったので、当日からホテルを探す必要があった。僕の海外旅行はいつもそうだ。まず現地に行く。まったくの無の状態で。現地に降り立ってから、移動手段、泊まる場所、食べ物を調達する。ドラクエでレベル1で知らない街からスタートする快感だ。期待と恐れ、興奮と緊張。この上なくワクワクする。

ここからインドで体験した1ヶ月間を詳細に述べていくと僕の親指がもたない。もたないので、どれかひとつを挙げるとすれば、やっぱりバラナシで見たガンジス川と、川岸で燃やされる遺体だろう。

『メメントモリ』という写真詩集が大好きで時々見返していた。インドといえば死体だと思った。道端の死体。なんでも開けっ広げな国なのだ。各人の自己主張が激しすぎる国。信号なんて守らない、そもそも停電が多くて信号もしょっちゅう消えている、誰も道を譲らない、でもクラクションだけは鳴らしまくる、牛ですら道路の真ん中で寝そべっている、「おれたちもインド人を信用しない」とインド人が言った。「子供ですらウソをつくことを悪いとは思っていないからね」

カオス、混沌、生と死、金持ちと貧困、人と牛と猿とゾウの混在、灼熱と土砂降りの繰り返し、手足のない物乞いの背後のビルに掲げられている最新の携帯電話の広告。多数の神。仏ですら神のなかのひとりに過ぎない。ガンジス川で沐浴する人々。色彩豊かな壁面、人の衣装、その隣で燃やされる遺体。

炎天下の広場で、薪を積み上げた台座が複数並んでいる。その上に乗せられた、かつて生きていた人々。隣でオレンジ色の袈裟のようなものを着た男性が祈っている。お坊さんのように頭髪は剃られている。「あれは身内の人だよ」と案内してくれたインド人が言った。「ちなみに女子はここには来れない。泣き叫んで大変だからね」

今はどうなのかは知らない。彼はそう説明してくれた。薪に火がつけられる。あっという間に遺体は炎に包まれる。黒い煙が立ち上り、狭い広場全体に充満する。

燃え残った部位はすぐ隣のガンジス川に流すらしい。自殺した場合も火葬はせずにそのまま流すと言った。不吉だとかそういう理由だっただろうか。死体の流れる川で水浴びをする人々。悲哀と歓喜。生と死のあからさまな同居。僕らの文明が覆い隠してきた多数のことが、インドではすべて開けっ広げであった。

毎日の生活を繰り返していると、人はいずれ死んで骨になるということを忘れてしまう。誰もが等しく辿らなければならない道なのだ。


最後に、当時の僕が旅行直後につけていた日記から引用して終わりにしたい。


 インドに行ったからといって、その全てを礼賛しようとしているわけではない。あらゆる国と同じように、当然インドにも正と負の両方の側面がある。(そして、この正負の極地が他国以上に乖離しているというのが、インドのインドたる所以なのかもしれない) 僕は、ただ、「インドとはどういう国なのか?どういう世界なのか?」ということを、滞在中も、帰国してからも、ことあるごとに考えているだけだ。そして、まずはその長所から、なのかもしれない。(短所だったら、掃いて捨てるほどある。なんせ「あのインド」なのだ。僕も極度の下痢になり、今も回復はしていない)


 若い人が、たとえば日本の社会のなかで虚しさを感じて生きる気力がなくなってしまったとしたら、迷わずインドへ行くといい。あの巨大な矛盾のなかで、2、3週間、過ごしてみるといいと思う。そうすれば、僕たちがいかに守られた社会の中で暮らしているか、若い人が嫌っているであろうたくさんの「大人」のおかげで、僕らはいかに安穏とした生をおくることができているのか、それが骨身にしみてわかるだろう。僕自身、そうだった。


 世界には、完璧な社会なんて、ない。それは、完璧な法律や、国家や、家族が存在しないのと同じことだ。だから、「何か」が心底嫌いでそこから逃げ出したとしても、おそらく違う「何か」が新たにその人の心を悩ませるだろう。どこに逃げても、どこまで逃げても、「何か」は僕らを追いつづける。だからこそ、大切なのは、今、目の前にある、完璧じゃないけれどでも、何かの運命でそばにある「あなた」を、愛して、真剣に向き合って、少しでも良くなるように努めることなんじゃないかな。



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