ヤンキーの父と僕



とりあえず大学に行くまでが僕の務めだと思っていた。

父親は親の不幸で大学に行けなかったので(つまり僕の祖父が早死にしたのだ)、子供たちこそは大学に行かせたいと考え、勉強しろ勉強しろとうるさく言い続けた。

テストは100点満点以外は認めない、という類の指導だ。98点だと「真剣にやってんのか?」とヤクザみたいに詰めてきた。口ごたえは一切許されなかった。

しかしながら、この父親自身は別に勉強が素晴らしくできたわけでもなく、聞くところによると高校時代はヤンキーだったらしい。

卒業アルバムにも美少女とツーショットで犬なんぞを撫でていた。ふしだらな学生。他校と喧嘩して、太ももを刺されたこともあるらしい。これは祖母からも聞いたので間違いない。「ほんとに、だいぶ縫ったんよ、ははは」と祖母は他人事のように笑った。あの祖母にしてあの父だと思った。

その父の夢は、自分の夢を子供に託すことだった。大学進学のルサンチマン。その犠牲になったと言っても過言ではない僕。

ちなみに地元はとんでもない田舎で、大学とやらは半径100キロ圏内に存在しないのだ。ちなみにいまだにコンビニまで徒歩で2時間はかかる。峠を二つ越えないといけない。道中でイノシシとかウサギとかイタチが出現する。

地元の(といっても実家から50キロ離れている)高校に進学してからも、大学なんて見たこともないし、大学生に遭遇したこともなかった。

だから大学がどんなところなのか全くイメージがわかなかった。見たこともない場所を目指すなんて、例えるならゴッホが浮世絵を見ながら日本を夢想したみたいなものだ。

早く親の呪縛から逃れたい。その一心もあって、高校進学後は気が狂うくらい勉強した。そして実際に気が狂った。

高一の秋以降は惰性で生きた。成績もみるみると下がったけれど、マークシートだけは得意だったので(あれは○を●にするだけなので勘だけでも相当いけた)、センター試験だけで受験できる大学を選んだ。

センター直後に、深夜のテレビで各大学のボーダーラインの速報値を見ながら、まるで競馬の予想師のように、自分の得点で滑り込めそうな大学を見定める。なるべく都会にあって、オシャレそうで、コンビニが近くにあって、映画館もあって、素敵な大学生活を謳歌できそうなところ。現地に行ったことはないので、完全に大学名だけのイメージ。

無事に合格する。センター試験だけで筆記試験はなかったので、ついぞ僕は大学を見ることもなく大学生になったのだ。しかし、春に上京して初めて自分が通うことになる大学を見て唖然とした。

とてつもない山奥にあったからだ。



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