見出し画像

愛する範囲

僕ができることは目の前にいるきみのことを愛することだ。他の子のこと、たとえば遠くにいる子とか、遠い世界の子とか、違う時代の子とか、僕から離れた場所にいる子のことはどうしょうもない。卑怯者だとか、考えがないとか、冷たいとか、何を言われようとも僕には何もできない。

話を聞けば悲しんだりすることはできる、自分に起こったら辛いだろうなって想像することもできる、なんとかしてあげたいとも思う、言ってしまえば助けてあげたいとも思う。救いたい、楽にしてあげたい、力になりたい、そういった思考や感情はいくらでも出てくる、でも、心に思うだけで、実際には何もできない。

そういう自分を無力だと悲嘆したりもしない。そんな思春期はとうに過ぎて、僕には何もできない世界があることぐらい、いくらでも知っている。

マラソンで走ってるきみのことを、僕は一瞬だけ併走できても、実際に走るのはきみの足だ。僕の足じゃない。だから僕は沿道でとくに声をかけたりもしない。ただ遠くから見て、心に祈って、僕は僕でまた自分の足で歩くだけだ。

そんなんじゃ寂しい、人は一人で孤独なだけで、じゃあどうやってこの心の隙間を埋めたらいいの?

その最初から見つからないと感づいているこたえを、でももしかしたらあるのかもしれないと矛盾した思いをもって、僕はまた電池が切れるまでネットを見る。きみは僕のとなりで眠っている。起こしたら不機嫌になるだろうけど、でもその不機嫌さをも僕は愛しく感じる。

僕は僕の手の届く範囲のことを、ちゃんと愛して、向き合って、生きようとしている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?