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東京ジェンダー・フリー


わたくしごとで恐縮ですが、「広瀬ケン」という名前にしたことを後悔しています。

明らかに男性っぽいからです。どこからどう読んでも「ケン」という名前なら男性でしょう。ほんとうは性別なんかどちらでもよかったので、「地面」とか「太陽」とか「アジの南蛮漬け」とかにすればよかった。

いまから「アジの南蛮漬け」にしてもいいのですが、「広瀬ケン」で1年半ぐらい過ぎたので、今更感があるので、後悔しながらもお付き合いしていくでしょう。(ある日突然「アジの南蛮漬け」になっていたら、「美味しそう!」と思っていただけると幸いです)

ネットで文章を書くときぐらいは、性別なんて関係ないと思っていて、ジェンダーフリーを体現できるのは容姿の見えないネットぐらいじゃないでしょうか。

せっかく声や姿や体臭のわからない、無機質な文字だけの世界なので、性別なんか無視して、言いたいこと、訴えたいこと、書きたいことを書けたら、それはすてきな世界になりそうです。

みんな性別は関係なしに文章を書いている世界があったら、そこはどんな風景になるのでしょうか。

女性っぽい文体、男性っぽい文体。女性っぽい思考、男性っぽい思考。というのはあるのかもしれないけれど、はたしてどれほど確固たるものなのだろう。どちらにも振れそうだし、どちらにも成れるかもしれない。

世界は時間をかけて少しずつ、でも確実にジェンダーフリーの方向に向かうだろうし、私達が定義する「男性」「女性」という概念も変わっていくでしょう。

私がnoteをはじめたときに書いていた連載小説、「東京ジェンダーフリー」は、もしかしたらそういう想いが根底にあったのかもしれません。一人称であらゆる性別を描きたかったのかもしれない。



ここまで書いて、「実はわたしは女性でした」というオチがあってもいいのかもしれないけれど、それは最後までの秘密。



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