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映画『ボーンズ アンド オール』他者を犠牲にして生きるということ

不完全な家庭で育った女の子が、不完全な家庭で育った男の子と恋をする話。だったらよくあるボーイ・ミーツ・ガールだけれど、この映画はそこに「人を食べたい衝動にかられて食べちゃう」という衝撃設定が加わったので、なんでしょうか、物語としての重みが重すぎる。

でも物語って、設定を過激に・過剰にすることで、語りたいことを浮かび上がらせる手法だと思っているので、ぜんぜんありだ。『ドラえもん』からだって人生訓はいくらでも学べる。このまま「物語とは?」という話を展開すると本編にたどり着けないのでいったん脇に置いておいて、映画『骨まで全部』の話。

映像がすごくきれいで、演出も控えめで(※逆に人肉シーンは過激なので落差がやばい)、役者の演技も抑制されてて過剰ではないので、人肉っていう設定がなければ、ただただきれいな青春映画。アメリカの郊外(アメリカはほとんどが郊外なのかもしれない。土地が巨大すぎる)が熊本の草千里みたいにきれいで、なんか「草千里」っていう単語を出した瞬間にめっちゃ日本的な雰囲気にのまれてしまうけれど、アイオワ州に行ってみたい。アメリカの草千里。ドライブしててガソリン切れたらどうなるんでしょう。そこは怖いね。


映画を見たあとで久々に無言になった。『ジョーカー』を見たとき以来。否が応でも自分自身を振り返ってしまう。

10代、20代の頃は、正しく生きたいと願っていた。誰も傷つけず、悪いことをせず、正しいことをして生きたかった。それができないなら、死んでもいいとさえ思っていた。

だから、と自分の例がすべてではないけれど、若い人たちが命を断つことに対して、許容というか諦観というかある程度はしょうがないよね、人間だから、という考えをどこかで持っている。

「若い人たち」と限定したけれど、自死は大人になるにつれて増加するから、すべての人に対してだ。「自死も寿命だよ」と友達が言ったセリフが今でも腑に落ちている。

『ボーンズアンドオール』は設定が特異なだけで、描かれていることはシンプルで、「生きてるだけで罪をつくる人間の選択肢は、他者を殺すか、死ぬか、隔離しかない」ということだ。

他者を殺す、というのは象徴的な意味であり、他者を犠牲にして、とか、自然を犠牲にして、とか、CO2を排出して、とか、要するに自分の外部環境を餌にして生きるしかないのだ。いやならアポトーシスしかない。たぶん良いとか悪いとかではなくて、動物だって自然界だってそうやって時間を経過してきたのだ。ただ、たぶん人間だけがたちが悪いのでしょう。でもしょうがないよね、人間だから。

「しょうがないよね人間だから」って割り切れるまでにはけっこう時間がかかったし、彼女も時間がかかるかもしれない。時間の経過を待てずに自ら終わらせるのかもしれない。この先どうなるのかは、映画を見終わった僕が抱えていくことだ。

結局のところ、割り切るために(生きていくために)重要なのは、他者の愛情と、時間の経過と、そして生物としての寿命なのだろう。


I want you to eat bones and all.

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