【短編】 「胡蝶の夢の蝶」


麻薬の王様は今も昔もヘロインで、名前の由来はヒーローからきている。

発売当初は英雄として迎えられた薬だ。第二次世界大戦までは普通に薬局で販売していた。

そういえば覚醒剤もヒロポンとして戦後しばらくは店頭で売られていたし、コカコーラの原料はコカインだったし(発売当初のキャッチコピーは「おいしく・さわやか」)、マリファナは世界中で合法化の波が押し寄せている。

つまり、薬物は時代によって合法だったり違法だったりする。いま処方されている向精神薬も将来は違法薬物に指定されるかもしれない。

さて、僕はここでクスリを勧める気は毛頭ない。露ほどもない。違法は違法だから、厳重に処罰されてしかるべきだ。しかし、と逆説を使うつもりもない。青信号は皆で手をあげて渡るべきだ。

Heroinの過剰摂取で心肺停止で運ばれたら普通は助からないのに、ミヤビは蘇生させられた。生き返って嬉しかったかどうかは知らない。本人に聞いたことはない。精神的にありえない高揚感の中でこの世を去った方が良かったのかもしれない。

ミヤビはちょっと見たことがないくらいのイケメンで、バイセクシャルで、バイトでお尻の穴を貸与していて、直腸洗浄をやり過ぎていつも出血していた。

行為の前にシャワーヘッドを外してホースをぶち込むらしい。そんな使い方があるなんて初めて知った。

「慣れれば簡単だよ」
「痛くないの?」
「ラクして儲かることなんてある?」
「ホストとかヒモとかやればいいのに」

ミヤビは笑って答えなかった。ホストもヒモも体験して最終的に今の業務に落ち着いたのかもしれない。

冬から春にかけてミヤビと同居した。

誰かと誰かの出会いはいつも偶然で、それを文章にすると長くなるので簡単に説明すると、僕の寝た女がミヤビの彼女だった。女はクシャミを我慢したみたいな喘ぎ声を出した。

男は平気で浮気をするっていうけれど、それは女も同じで、つまりは男女差なんて関係なくて、する時はする。したければする。大人になると自制心が働くんじゃなくて、それはただ単に体力がなくなるだけ。

まだ三人とも二十代だったから僕はミヤビの彼女とセックスしまくったし、彼女に連れていかれたマンションにミヤビがいたけど三人で始めたし、ミヤビがサイレースを服用して昏睡した後は二人だけでやりまくった。女はいつも濡れていた。胸は小さいのにお尻は大きいから衝動的に入れつづけた。

女が帰った後で、僕はそのままミヤビの隣で眠って、居候生活を開始する。僕は家出中だったので泊まるところなんてどこでも良かった。

ミヤビはあらゆるクスリに詳しかった。

錠剤だったり粉だったりが部屋にあって、初めて泊まった朝に「やる?」と勧められて錠剤をいくつか試したけれど体質に合わなくてトイレで嘔吐し、それ以来無理に摂取することはなかった。

アルコールで十分だったし、そもそも今でもそうだけどシラフで生きることが苦痛じゃない。頭は明瞭な方が好きだ。本が読めるし文章が書ける。

現実が嫌なら地の果てまで逃げればいい。「現に僕は家出をしてきた」と言うと、「でも自分からは逃げられないじゃん?」とミヤビは笑って答えた。「世界中のどこに行っても自分が付いてくる」


自分から逃げる方法は三つある。永遠に眠るか、クスリで紛らわせるか、神に頼るか。人間は逃避のために宗教を作って、薬を精製して、自殺してきた。

僕はそのどれをも否定しない。世間や法律なんてどうでもよくて、そんなものは何の枷にもならない事を経験上知っている。

ミヤビが薬をやりたいのならやればいいし、ミヤビの彼女が濡れるんだったら入れてあげるだけだ。井の頭公園でも、雑居ビルの非常階段でも、場所なんて関係ない。

ミヤビは早朝に運ばれた。吉祥寺に一番近い救急指定病院は杏林大学で、意識が戻るまでにかなりの時間がかかった。彼女に連絡したけれど返事はなかった。

最初は狭い廊下で待っていたけれど、急患がどんどん増えてきて居場所がなくなったので、職員や学生が利用する食堂に入った。建物の離れにあって、桜の木が見えた。薄いピンク色の花びらが舞い始めていた。

そういえば僕もミヤビもミヤビの彼女も桜が大好きだった。「だから公園のそばに引っ越した」と笑って答えたミヤビの横顔はとても美しくて、色気があって、寂しそうで、僕も好きになりそうだった。




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