「さようなら、すべての子供たちへ」
1999年12月31日の夜。
地球が滅びると信じていた僕は、ビデオカメラを片手に、ビルの屋上にのぼった。
*
横浜の夜景がすべて見渡せる場所。遠くにランドマークタワーとベイブリッジの点滅。大小様々な灯りが、クリスマスのイルミネーションみたいに眩しい。
地球の最後の瞬間を、僕はカメラに収めようとしていた。氷点下に近い寒さで、古着のモッズコートは重さに反してそれほど温かくはなくて、冷たい指先でビデオカメラの録画ボタンを押す。
屋上には学生グループの先客がいた。新年を心待ちにした高い声で談笑している。彼らは新しい年が来ることを信じて疑わない。
屋上から、さらに高い位置に給水塔がある。僕はそこにつづいているハシゴに足をかける。まだ二十歳そこそこだから、あっという間に横浜で一番高い場所に到達する。
2000年まで、あと15分だった。
*
あれから20年以上が過ぎた。僕もいい大人と呼ばれる年齢になったし、ビデオカメラがなくてもスマホで撮影できるし、単なる空き地だった「みなとみらい」にもビルが立ち並び、地下鉄も走っている。
でも、2000年になっても、21世紀になっても、なにかがずっと心に引っかかっていた。
それは、あの頃の僕が抱えていた、痛みのなごりなのだろうか。世界に溶け込めなかった自分、ルールがわからなかった自分、他者とわかりあえなかった自分。存在意義や、夢や展望や、欲しいものがなにもなかった自分。
(夜が明ける前に、いなくなったらどうするの?)
答えなんて今でもわからない。ただごまかして日々を生きるだけだ。紛らわせて、他人の言葉に簡単に共鳴して、すぐに愛情を表明して。世界にちゃんと混ざっていると認識し、安心したふりをしているだけだ。
誰かを救うことなんてできない。その誰かには自分も含まれる。つまりは自分は救われない。救われないのなら、いっそうのこと世界と一緒に終わってもいい。そう期待していた自分。その記憶。忘れようとしても、ふとした瞬間に呼び戻される心の震え。そして襲ってくる孤独。
*
あれは、90年代の終わりに存在していた、あの時代の空気なのかもしれない。
バブルの頂点から一気に落下した暗い日々。個々の出来事には触れないけれど、思春期に直撃したそれらの事象に対して、僕はうまく理解できずにいた。大人は誰も説明してはくれなかった。いや大人たちでさえも未来がわからなかったのかもしれない。すべてが混沌として曖昧で黒く染められた月日。
1999年に渋谷で出会った女の子は言った。
(わたしは、この世から、大きく間違った存在なの)
その言葉の重さを、もう当時と同じようにリアルに感じることはできない。ただ僕は、強く否定したことしか覚えていない。
「なにも間違ってない。大丈夫、大丈夫だよ」
それは根拠のない祈りだ。絶対なんて言葉は存在しないことぐらい理解していた。でも、なにかを強く望むことは許さてもいいはずだった。人々が次々に消えていっても、きみは、きみだけは絶対に消えないでほしいと。
「大丈夫だよ」
本当は、僕が言われたかった言葉だった。
*
あの時のビデオテープは、いまでも実家の本棚にある。あれから一度も再生ボタンを押したことはない。彼女を撮った写真もすべて灰になった。文字どおりの意味で、深夜の砂浜ですべて燃やした。
映画のようなハッピーエンドは、現実世界ではそう簡単には訪れない。エンドロールが流れたって、そこからも時間は流れていく。僕は老いるし、彼女も年をとる。時代は新しいアイテムでどんどん埋め尽くされていく。言葉は簡単に消費され、重さよりも軽さと速さが求められる。わかりやすく、面白く、誰が読んでも理解できるように。
僕らは、救われたのか?
怖くて目をつむっているうちに、いつのまにか2000年になっていた。学生たちは「ハッピーニューイヤー」と大声で叫び、遠くの海岸で打ち上げ花火が上がった。何発も何発も。やがて暗闇がもどり、学生たちはビルを下りていく。静かな横浜の街の灯りと、僕だけが取り残される。
当然だけれど、世界は終わらなかった。これからも、どんなに悲しいことがあっても、ずっとずっと続いていく。
絶対に?
そう、絶対に。
僕やあなたがいなくなっても、世界は終わらない。そのことを忘れないように、忘れさせないように、僕の体はかってに涙を流す。
こんな文章を書いたことすら、思い出せない日が来ることもわかっている。
***
<あとがき>「シン・エヴァンゲリオン」を観て、旧劇が公開された当時の空気感を思い出して、書き始めたのが本稿です。いつものことながら暗い流れになってしまったので、ふざけたバージョンとかも書いたのだけれど、やっぱりこれに落ち着きました。新劇4部作が完結して、やっと私も卒業できそうな気がします。25年間、長い間、本当にありがとうございました。
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