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【恋文】舞城王太郎が『Love Love Love You I Love You』だからいまからラブレターを書きます。


舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる』の出現は当時の本を読まない僕らを狂喜乱舞させた。

文字どおり興奮して踊り狂って読みまくった。それまでは国語の教科書で小説を読んだくらいだった。たしかに面白いものもあった。でもそれらは正座して読むことを僕に強制した。難しい漢字が多かった。情景描写を頭で再生することに困難した。そもそも文章が固くて眠くなった。会話文だけをつなげて読んだら意味がわからなかった。かろうじて吉本ばななと村上春樹と村上龍を何冊か読めた。それだけだ。その後は大学を出てフリーターになり女性を口説くことに熱中し、好き好かれ恋し恋せられて月日が過ぎた。本なんて小説なんて読まなくても生きるには十分だった。

十分だったにも関わらず僕はなにかを欲していた。なにかがなんなのかは不明だった。なにかが足りない。なにか。本屋に行く。すべての棚を見てまわる。新刊本のコーナーで赤い(もしかしたらピンク色だった)一冊の単行本を手にする。吉祥寺にあったブックス・ルーエだったかもしれない。題名を見てこれは読むべき本だと直感で悟った。悟る。悟る前にすでにページをめくっていた。かの有名な出だしはこうだ。

愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。


最高だった。僕はそのまま一気に立ち読みする。買うことすらレジに向かうことすら惜しかった。いま僕はこの場でこれを読むべきなんだ。最初の最後の文章はこうだ。

祈りは言葉でできている。言葉というものは全てをつくる。言葉はまさしく神で、奇跡を起こす。過去に起こり、全て終わったことについて、僕達が祈り、願い、希望を持つことも、言葉を用いるゆえに可能になる。過去について祈るとき、言葉は物語になる。


いまになって思う。舞城王太郎は物語に対して最初から意識的に取り組んでいた。なぜ書くのか。なぜ小説を書くのか。答えは上に自明で舞城は全世界を愛し全世界に対し祈り全世界に幸せになってほしいだけなんだ。そのための手段が小説だったというだけで漫画でも映画でもよかったのだろうけれど彼は28歳で『煙か土か食い物』でデビューする。

僕はいまでも舞城の最高傑作のひとつだと思っている。何度も読み返したし今でも震える。高円寺の駅前のマックで早朝に読み返したときは(同棲中の彼女と喧嘩して本棚から取り出して家出した)そのまま朝日の中で泣いた。再読にも関わらず泣いた。それはもしかしたら舞城の愛に包まれていたからかもしれない。


僕は間違いなく舞城と出会ったことで身体の失われていたパーツの一部をはめることができた。欠けている部分はもちろんいまでも多くある。でも僕はあの日、高円寺のマックでカウターの硬い椅子の上で再読して泣いたことは忘れないし思い出すし舞城さんには感謝している。

近所に住んでいるおそらく無職っぽい昼間っからタバコを吸っている男性のことを勝手に「舞城さん」と呼んでいるくらいに好きだ。「舞城さん」は部屋にこもってきっと新作をつくっているに違いない。

ちなみに『煙か土か食い物』の好きなシーンは「TEN」と「ELEVEN」のジロちゃんのところ。姿かたちを変えて何度も舞城作品にでてくるジロちゃん。もしかしたら舞城はこの「TEN」と「ELEVEN」を書くために推理小説というテイをとったのではと勝手に想像する。舞城さんはずっと愛の物語を書いている。


こんな気持ちの悪いラブレターを読まされる方はたまったもんじゃないだろうけれどラブレターなんて気持ちの悪いものだから許してほしい。理知的に理性的に書かれたラブレターなんて****だ。ああこういう表現はnoteには向かないことは百も承知しているけれども僕はこれを舞城さん、あたなに向けて書いています。

長生きしてこれからも小説を書いてください。できればまた長編を読みたいです。『僕が乗るべき遠くの列車』もよかったです。チュウのシーンもリアルでよかったです。子供みたいな感想ですみません。ああ、いま気が付きましたが、この本の主題も『煙か土か食い物』なんですね。


舞城王太郎を未読であれば『好き好き大好き超愛してる』をおすすめします。たしかに途中で難しい言い回しが出てくるけれど、一読してわからなければ素通りしても大丈夫です。いくつかの物語がミルフィーユみたいになってて複雑な構成だけど気にせず最後まで読んでいただけたらと思います。

(ちなみにマニアックな蛇足だけれど、文庫版だと挿絵がないけど、単行本だと挿絵(舞城さん作画!)があるのでこちらをおすすめします。天井からぶら下がる少女の絵とか)



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