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時刻


母は霊感があって、父は占いが得意だった。

深夜に二人で車に乗っている。街からの帰り道だ。父が運転し、母は助手席でぼんやりと闇夜をみている。実家につづく国道は、国道といっても片道一車線の田舎道で、街灯もない。山がいくつも連なり、集落と集落のあいだは数キロにわたって人家が一軒もない。日曜の夜ならまず対向車がくることもない。暗闇がずっとつづく心細い道。時々、ヘッドライトに目がくらんだイタチが路上で立ち往生しているので、それだけは注意して避ける必要がある。運悪く轢いてしまったら、イタチは天国に出立し、車も無傷ではいられない。

峠はトンネルになっている。集落から長い坂をのぼって(人家は一切存在しない)、頂上付近に入り口がある。トンネルも長い。おそらく1キロはあった。古いタイプの、オレンジ色の照明。光が一定の速度で、母の顔を照らした。

「あら?」

母がふと声をあげた。

「どうした?」

すこし間があってから、父がこたえた。街から数時間のドライブ。1日の疲れもあって、ふたりはここまで無言で走ってきた。

「いま、自転車に乗った人が、いたの」

母は見たままの光景をつたえる。トンネルの真ん中で、ママチャリに乗った女性がいたという。女性は白っぽい服を着ていた。

「なにか、急ぎの用でもあるのかな」

父は時計を見た。23時15分。このトンネルは山の頂上付近にあるから、一番近くの集落からでも、自転車でおそらく1時間はかかる。こんな夜中に、このトンネルで人を見たのは初めてだった。たとえ日中だったとしても、走行しているのは車ばかりで、自転車はめったに存在しない。

不思議だね、と言ってその場は去った。



父が占いを始めたのは、父の父が(つまり僕の祖父が)若くして亡くなったからだ。家系的に男子が短命で、その運命を回避するために、手相、四柱推命、姓名判断と、あらゆる占いを勉強するようになった。

「もしかしたら、おれも50歳まで生きられないかもしれない」

父のいつもの科白だった。どの占いを根拠にそう言っていたのかは、僕も幼かったので定かではない。

物心がついてから、父はことあるごとに「50歳が、おおきな節目だ。おまえのおじいちゃんも、ひいじいちゃんも、50歳で亡くなっている」と僕を脅した。

しかしながら、当時5歳の僕にとって、50歳なんてはるか彼方の未来なので、とくに気に病むこともなかった。それぐらいの年齢なら天寿だろう、と考えていたのかもしれない。

男子が短命なのは父方の話で、母方は長生きだった。でもお盆で帰省した際、母方の祖父に会ったときに、その顔を見て、父は思わず言ったらしい。

「お義父さん、ちょっと危ないですよ。なにかありそうな相が出ています」

なにか、というのはあまりよろしくない事態のことだ。祖父は、最初は冗談だと思って受け流したらしい。酒の席のことだ。「不気味なことを言う旦那さんやな」と笑った。母も「あんまり変なこと言わないでよ」と笑って父をたしなめた。

しかし、それからしばらく経って、僕が5歳の七五三を迎えた日、母方の祖父母と再会した父はやはり注意を促してきた。

「いや、お義父さん、やっぱり危ない相が出ているので、気をつけてください」

さすがに祖父は気味が悪くなり、健康診断をうけたり(異常はなかった)、車の運転には十分注意していた。

それから一ヶ月後、祖父は落盤事故で命を落とした。



夜7時のNHKニュースで、落盤事故の速報が流れた。行方不明者のなかに祖父の名前があった。母は叫んで父を呼び、二人はすぐに母の実家に向かった。僕は当時5歳だったが、母が叫んだことだけは、うっすらと記憶にある。

崩落した土石は大量であり、祖父はなかなか見つからなかった。母方の知り合いや、親戚一同、現場にかけつけたが、あまりの規模の大きさに、ただ立ち尽くすしかなかった。現場に重機が入り、夜通し撤去が進められた。

二日後に見つかった祖父の顔は、あっ、という表情のまま固定されていたそうだ。

葬儀の記憶はある。母や知らない大人たちがみんな黒い服を着ていた。おじいちゃんが死んだということまでは理解できなかったが、その重苦しい空気だけはわかったので、僕はずっと黙っていた。夜は一人で寝て、母に甘えることもなかった。



母はあの事故がきっかけなのかはわからないが、幽霊を見るようになった。陽気な性格なので、とくに怖がるとか恐ろしがるとかでもなく、「あ、いまいるね」という、日常の延長線上にある風景のように口にした。微笑んだりもした。母以外は誰も見えないので、そして僕は怖がったので、彼女はそれほど頻繁には言及することはなくなった。

あの深夜のトンネルで、自転車の女性をみた直後に、父の携帯が鳴った。運転中だった父は、母に携帯を見るように促した。

母は携帯を手にとって、「ぎゃっ!」と叫んだ。もう少しで落下させるところだった。

「どうした?」

父も冷静さを欠いたのか声が上ずっている。

「着信が、わたしから……わたしからの着信なの……」

すぐに電話は切れた。トンネルを抜けてから、ハザードランプをつけて路肩に停車させる。父は携帯を受け取って、画面を見た。表示されている着信履歴は、たしかに母の携帯番号だった。でも、母の携帯電話の本体は、




トランクルームの中なのだ。




父がトランクルームを開ける。母のバッグは所定の位置にあった。開けてみたが、母の携帯はしっかりとポーチのなかにあった。もちろん発信された形跡はなかった。

翌朝、隣の県に住んでいた母の友人が亡くなったという知らせが入る。重い病気でずっと入院していたらしい。話の流れで亡くなった時刻を聞き、母はまた声を出しそうになった。23時15分。それは父の携帯電話が鳴った、あの時刻と同じだった。



母と父の不思議な話はたくさんあるけれど、今回はここまでにしようと思う。ちなみに僕は、当然だけれど両親の血を受け継いでいるので、いわば霊感と占術のサラブレットということになる。しかし残念ながら、母のように幽霊は見えないし、父のように占いには興味がない。

ちなみに4年前の今ごろ、早朝に原因不明の下痢になった。水のように激しい下痢。でも不思議なことに、お腹は痛くはなかった。食べ合わせが悪かったのかもしれないと思い、僕は出すだけ出して、トイレをあとにした。時計を見たら午前5時半だった。

二度寝をして、7時に起きて朝食を食べようとすると、スマホが鳴った。父からだった。「**ばあちゃん(母方の祖母)が亡くなった」と開口一番に言った。「葬儀は未定だけれど、可能なら帰省してくれ」

90歳を超えての老衰だった。祖母との思い出はたくさんあるし、悲しさや寂しさやいくつかの後悔もあった。でも感傷に浸るのはあとだ。会社に連絡を入れて、新幹線を予約した。喪服を確認しながら、「そういえば」と僕は父にメッセージを送った。「今朝、原因不明の下痢になったんだけど、おばあちゃんが亡くなったのって、何時だったの?」

父の答えは、あなたの予想通りだ。



幽霊がほんとうにいるのかどうか僕にはわからない。でもかつての科学はウイルスや細菌の存在を認識していなかったように、幽霊的ななにかについて、現在の科学が認識していない可能性は十分にある。あと百年ぐらいしたら、電子顕微鏡のようななにかが発明されて、幽霊も見えるようになるのかもしれない。

僕は見えないけれど、おそらく体調や周囲の現象でそれとなくわかるタイプの人間かもしれないので、ある程度注視して生きていこうと思っている。その存在を否定するよりも、もしかしたらいるかもしれないと考えるほうが、僕にとっては自然なのだ。




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