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自然の気持ち悪さ
この間、allnighterで落選した時、一緒に曲を作ったあしあとさんに、僕が自然っぽい音をたくさん入れる的な事を言われた事が、ずっと心に残ってる。
Listen to Seaside 7:00 (asiat, ひロせ) by ひロせ on #SoundCloud
言わんとしている事はわかるのだがやはり考えてしまう。そもそも自然という言葉は何なのか?安易に守る対象であったり、神を感じる場所であったりと、都合好く解釈されているが、すべてのものが回帰する場所であり、はみ出すことのできない枠組みが、自然なのではないかと逃げられない対象としてすら考えてしまう。自然賛美的な本では、よく廃棄されているゴミであるとか、自然を汚すといった表現がされているように思うが、本当の意味で私達は自然から逃れられないのでは無いかと思う。バブル崩壊によって廃墟と化した箱根の山奥をこの間散歩していたのだが、そこには壊されてしまった人工物があった。時間というものを根本的に有さない自然という存在は、観測することで強制的に閉じ込められる時間によって私達を永久に捕まえているのでは無いかと思える。人工は、観測、認識であり、私が想像しうる範囲全てであるが、それ以外の全ては自然となってしまい、不確定要素が生まれるたびに自然へと回帰してしまうのではないかと思う。例えば、工場排水や原子力の被爆地などの生態系は私達の想像を絶する進化を行い、とんでもない病気などをもたらしたりする。それは今までにない即興性を有する物が自然であり、過去にも未来にもとらわれない、限りない今の荒野こそが自然だと思う。意味もなく教育が振りまかれたことによって、私達、僕の想像力というのは無闇に広がってしまった。遠い国にいる、古い友人や、会ったこともないポップスターの言葉、昔描かれた絵画や、時を経て発掘された謎のフィルム。全て時間を有するものであり、過去もしくはこれから確定されてしまう。
本当の意味でこれから自然的な物を取り入れていくのなら、限りない即興とデータの破棄こそが本質的に自然であるということなのではないか?
適当なことをつらつらと打ち込んでいるノートもここらへんで終
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