死を選ぶということ
私は最近よく死を選ぶということを考える。それが良いことだとは思わないし、選ばずにいられるのならそうした方がいいと思っているけれど、今の私にとって死を選ぶということ選択肢の一つになっている。
どうして死を選ぼうとしてしまうのか。
私にとってそれは問われると、とても難しい問題だ。
子どもの頃から私にとって死を選ぶという選択肢は何度も何度も頭を過った。それは私がいじめられっ子で学校に居場所がなかったからかもしれないし、そんな私が恋をして勇気を出したら好きだった人にキモいと一言言われたからかもしれない。
私にとって誰かに見初められて誰かの恋人になることは夢だった。私は既婚者だが、その夢は終ぞ叶わなかった。私と旦那は恋人だった期間はない。
表向きにはモンハンのオフ会で知り合ったことになっているが、私と旦那が知り合ったのは、私がチャットレディをしていた頃だ。旦那は誰にも相手にされない私にチャットレディをするならこうした方がいいとやり方を教えてくれた人だった。
その後スカイプで繋がり、一緒にモンハンをしたりした。私は旦那に懐いて、住んでいるところも隣県ということもあり会うことにした。セックスをするためだ。
私はこの頃、どう考えても躁の時期だった。出会い系サイトに登録して、色んな男性とセックスをしていた。それは私にとって恥ずべき事で、人にはあまり話していない。旦那とのなれそめも、本当のことは言えずにいる。
無謀なセックスをしていたと思う。結果として妊娠して、私は結婚した。避妊していなかったのは旦那だけではなかった。旦那もそのことは知っている。その上で私と結婚してくれた。
愛されているかはわからない。けれど、大事にはされていると思う。それでも、愛されているかわからない不安は私を苛む。自分のせいなのもわかっている。最低なのもわかってる。
けれどその頃の私にとってセックスは必要だった。誰かと繋がっている間、私は必要な人間なのだと思えた。そのためだけに私はたくさんの男性と寝た。それはいけない事なのだろうか。
そんな私にとって、死という選択肢は必要なものだった。汚くて、惨めで、最低な私をこの世から消してしまうことが、大切なことだと思った。今も思う。私は汚い。もう清い頃には戻れない。分かってる。私が死んだって、清い私は帰ってこない。
それでも死にたくなる。消したくなる。自分の存在を。ここに居た証しを。
それを願うのは悪いことでしょうか。
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