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【短編】夕暮れの街で

コンクール前のホール練習も終わり、あさひは自分のクラリネットにスワブを通しながら明日の本番のことを考えていた。10年連続県大会金賞がかかった明日の大会は、あさひにとって中学生活最後のコンクールでもあった。

2003年の夏。15歳の夏。二度と来ることない最後の夏。今年の課題曲は課題曲Ⅱ『イギリス民謡による行進曲』自由曲は『大阪俗謡による幻想曲』

あさひは自由曲の中間部にあるオーボエのソロが好きだ。夕暮れ時の街並みが想像できる穏やかなソロ。スコアを見ながら自分で演奏してみたこともあるけれど、オーボエで演奏した方がより夕暮れの匂いがした。

オーボエの奈央とは三年間一緒に頑張ってきた。奈央が誰よりも、努力をし続けてきたことも、この中学の誰よりも音楽を愛していることも、音楽に愛されていることもあさひは知っていた。

だからこそ、あさひは奈央に嫉妬にも似た感情を抱えていた。敵わないとわかっていながら、それでも彼女のように音楽に愛されたいと何度も願った。

クラリネットを分解しながらケースに片付けていく。片付け終わった頃、集合がかかってコンクール前最後のミーティングが行われた。これまで厳しかった顧問も、もう厳しいことは言わない。

明日は最高の演奏をしよう。

この場に居る部員50名が全員そう思ったであろう。あさひだってそうだ。きっと奈央も。

ミーティングが終わり、今日の部活も終わった。それぞれに迎えの車に乗っていく。あさひは母親の車に乗りこみ、ふと空を見た。その空は、奈央が演奏するソロの情景のような空だった。

それから十数年経った今もあさひは思い出す。あの日の空と、その翌日の奈央のソロを。やっぱり奈央は音楽に愛されていたし、あさひ達は最高の演奏をして、10年連続県大会金賞は果たされた。奈央のソロは前日の夕暮れと同じ匂いがした。

十数年経った今、あさひはスワブをクラリネットに通すことはなくなった。奈央とは連絡を取り合っているが、海外を中心に演奏活動を続けている彼女とは頻繁には会えない。

彼女の演奏は今も、夕暮れの匂いがどこかからする。懐かしさと、憧れと、嫉妬をあさひに運んでくる。もうあさひは演奏なんてしないのに。

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