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【書評?】海と毒薬

海と毒薬 遠藤周作著 新潮文庫

あらすじ

引っ越した先の街の医院へ持病の治療のために通う男。男やがて、その医院の医師である勝呂が、かつて捕虜の生体解剖実験に参加していたことを知る。勝呂は単なる異常者なのか、それとも……。

第二次世界大戦末期に九州帝国大学でおこった事件を小説化した作品。

感想

第二次世界大戦末期、実際に九州帝国大学医学部で実際におきた事件を小説化した作品とあって、内容はかなり重めの物だった。人間とは、日本人とはいかなるものかと常に問いかけられているようなその内容は心を締め付けられるものがあった。

あれでもそれでも、どうでもいいことだ、考えぬこと。眠ること。考えても仕方のないこと。俺一人ではどうにもならぬ世の中なのだ。

本文より

勝呂は生体解剖において終始傍観者であった。その勝呂から出た言葉が上記の言葉なのだが、これはこの勝呂という男をよく表している言葉だと思った。自分では、なにも出来ぬまま、傍観者でいることを選択した勝呂。傍観者ではなく、参加者の一人として【仕事】をこなした戸田。そのどちらも責めることは出来ない。

第二次世界大戦というよりも、戦争と言うものは人間の倫理観を大きく変えてしまう。戦時中といういわば特殊な環境下の、ましてや医学生という立場で助教授や教授などの要請を断ることは難しいことだったと思う。

かと言って、生体解剖が悪ではなかったかと問われればそれは悪だったと言わざるを得ないとも思う。

この作品が難しいと思う理由はそこにある。仕方がないことだったのだと思う反面、悪だと思う自分が居る。そして海と毒薬とはどういう意味のタイトルなのだろうかと、ふと考える。

大海に一滴の毒薬を垂らしても人は気付きはしないだろう。この作品での海とは社会情勢などのことを言い、毒薬とは悪意のことをいうのだろうか。戦時中の麻痺した社会情勢の中では、生体解剖という悪が行われても、そこに良心の呵責は生まれづらいということを遠藤周作は言いたかったのだろうか。

戦争と言う出来事の中で、人は残酷になれる。生きるために他人の命を危機にさらす。さもなければ自分が死んでしまう。そんな残酷な世界の中で、残酷にならないという選択もまた難しいものだと考えさせられた。

終わりに

超有名作なので、読んだことがあるという人が多い作品だと思うが、色んな側面から考えることのできる一冊だと思うので、再読必至かなと個人的には思っている。遠藤周作は『沈黙』以来読んでいなかったのだけれど、私には合うのか重いテーマの割に読むのに手こずらなかった。

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