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あの日のこと

今日は東日本大震災から10年の日。もう10年。まだ10年。

あの日、私は長崎に居た。アルバイトをしているレストランの休憩中、大きな地震があり津波がおきて大きな被害が出たことを知った。その時丁度、宮城に旦那さんが出張しているというパートの主婦の方が居て、旦那さんの安否について一緒に心配した記憶がある。

私はというと、福島に親戚がおり、親戚は大丈夫なのかと心配していた。祖母の葬儀の時に会った祖父の姉弟たち。一度とはいえ、1週間ほど家で寝起きを共にしたということもあり、心配だった。祖父はもっと心配だったことだろう。

アルバイトが終わり、家に帰ると福島の親戚たちの事を私は訊いた。案の定連絡はつかず、安否はわからないという。結果として、しばらくして皆無事だと知った時の祖父は心から安堵したことだろうと思う。私ですら安堵したのだから。

あの日といえば、私のなかではもう一つある。95年におきた阪神淡路大震災である。あの日、私は兵庫県に居た。5歳だった私は地震がおきた時眠っていて全く記憶にないけれど、母の証言によるとものすごい揺れだったそうだ。

私達は、兵庫県の中でも被害の少ない地域に住んでおり、大きな被害はなかったものの、祖父母は大変に心配したことだろう。

阪神淡路大震災からは26年、東日本大震災からは10年。節目なんて訪れていない。ただ26年と10年経っただけ。大切な家族を失った人、友人を失った人、大切な人を失った人たちに、もう何年経ったからというのはきっとない。

あの日からを考えるとずうんと心が重くなる。

10年前21歳だった私は、こんな気持ちにはならなかった。31歳になってわかる。時間は救ってくれない。ただ経っていくだけ。

被害にあっていない私に出来ることは、あの日を忘れずにいることだと思う。無力だなと思う。けれど、忘れてしまうよりはいいとも思う。風化するということが一番良くないことだと思うから。

どんなに防災意識を持っていても災害被害は無くならない。けれど、防災意識を持っていないよりは少なくなる。大切なのは過去の被害を忘れずに重い教訓として胸に刻むこと。

私に出来ることはそれくらいだ。


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