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あるべき姿ではなくあるべき世界のレンズを持とう

自分自身も使っていた「あるべき姿」というゴール設定、これが正しいのかクリティカル的に考えてみました。

前提:ここで言うあるべき姿の意味

あるべき姿はイシュー(いま解決するべき問い)が明確化された状態で、イシューの解決を実現できる状態を指し示します。ここで、「あるべき」の「ある」はイシュー解決策を指し、「べき」は当然ながらマストを表現、「姿」は世界観を表現しています。

「ある」「べき」は適切か?

それまで分析し、明確化したイシューの解決策として妥当であれば、「ある」は存在しており、適切。「べき」のマストについては、その必要性、重要性を表現する上で、イシューが解決されることが何よりも大切な環境下においては、「マスト」が適切でしょう。

「姿」は適切か?

「姿」が「ある」を満たす世界観、すなわちエコシステムと定義するのであれば、「姿」は認識齟齬を起こしそうに思います。「姿」から想起されるのは、主語からリソースベースドで積み上げられ、成長した「姿」を示す、すなわち即ち「世界観」ではなく、主語が企業であれば「その企業が成長したさま」を示すのではないかと考えられます。果たして一企業でエコシステムは構築できるのでしょうか。

名著ワイドレンズによる「エコシステム」の定義

ワイドレンズではエコシステムをこのように表現しています。

エコシステムにおいて勝利するためには、実行レースに勝つだけでは十分ではない。それぞれのパートナーの間をつなぐネットワークを作り、パートナーが自分の役割を果たし、お互いに協力して他のパートナーと共同で利益を生み出していかなくてはならない。

つまり、エコシステムは一社ではなく、パートナー間をつなぎ相互にシナジーを起こし、価値を生み出すものです。よって、一社を示す「あるべき姿」では不適切、「あるべき世界」と表現されるべきでしょう。イシューを解決する「あるべき世界」をパートナーと価値設計図を描きエコシステムを持ってイノベーションを起こす企業、人材が今後求められるのです。


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