#1 人格は自分で決めるもの
今日からまた書き始めようと思う。何を書こうかと周りを見渡しているけれど、その前に、「僕」なのか「私」なのかを決めなければならぬ。いや、なりません。「です」なのか、「だ」なのか、そういう人格みたいなものをまず決めておかないと、迷いが生じてしまうのである。いや、生じてしまうのでございます。候。
文章を書くときにはいつも迷うのだ。です。僕は「私」なのか、それとも「僕」なのか。はたまた「俺」とか「ワシ」なのか。「僕は」というからには誰がどう考えたって「僕」なんだろうけれど、普段存在している”僕”と文章で表現する時の”僕”は違うような気がするのよ。
ほら、迷い生じてきたやん。性別変わってもうてるやん。
方言じみた言い回しもどこまで入れ込めばいいのか。ワシは八尾生まれ八尾育ちや。悪そな奴はだいたい親戚。なんやわれ、いてこましたろかい。
どう考えても誰かを ”いてこます” タイミングなどないのに、河内弁を入れなくてはいけないような気さえしてくるのよ。That's right.
とはいえ、俺もええ歳や。いつまでも子供みたいに「俺」言うてる場合やない。大人として大人しく、「私」言うたらええがな。あらそう? でも大人が使う「俺」は、それはそれで可愛いじゃない。永遠の少年って感じね。あなた、素敵よ。
そうか、ほんなら「俺」、言わさしてもらうわ。おおきにな、ねえちゃん。なんか色々言うて悪かったな。かんにんな。そんな、お礼なんていいのよ。あたしはあんたが伸び伸び文章を書いてくれたら、それだけで幸せなの。あたしのことなんて気にせんと、あんたらしく、生きなさい。
どうも「俺」と「あたし」を使うと人格だけでなくストーリーまでが限定されてしまうようです。できれば別の言い方を考えようと思います。僕の人格が決定したら、またお知らせします。
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週刊「トノ、御無体な!」
広沢タダシによる週刊エッセイです。ゆるっと深く、丸い手で引っ掻きます。コメント欄はありませんが、Twitterなどでコメントくださいね。 …
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