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野暮よね

 例えば駅のホームで「二列になってお並びください」とか、アナウンスで、「周りのお客様の迷惑にならないように」とか、そういう案内って、野暮よね

 なぜかオネエ言葉になったわ。

 そう、野暮なのよ。「降りるお客様をお待ちになってから順にご乗車ください」とか、いちいち言わなくても分かるはずのことを丁寧に言うわよね。それともそんな野暮なことを言わなくちゃ成り立たない世の中なのかしら。んもう、嘆かわしいわ。

 なんなのこれ、このままいくわね。

 わたしたちのような何かを表現する人間にとって、この”野暮をいかに無くすか”が最終的な目的にも似た目標なの。”野暮”が少なければ少ないほど、クリエイターにとって報われた状態なのではないか、とも思うわ。

 何かを説明すればするほど野暮になって、想いや意図を汲み取る能力を奪ってゆく。わたしたちシンガーソングライターにとっての音楽もそうね。説明的な歌詞には奥行きも味わいもない。全てを説明しなければリスナーは理解できないのかしら。そんなことないわよね。
 コンサートで楽しみ方をステージのアーティストさんが指南しなければいけないなんて。「ここで手拍子を」とか、「盛り上がっていきましょう」とか。アーティストさんは本当はそんなこと言わずに手拍子して欲しいし、盛り上がって欲しいのよね。でも、なかなか思ったようにいかないから、優しさを出しちゃうの。それはそれで微笑ましいけれどね。でも、野暮よね。”優しさ”だとか”思いやり”が魂を失うと、野暮に姿を変えちゃうのよね。
 でもね、大切な人に届ける「ありがとう」とか「愛してる」は決して野暮じゃないのよ。分かり切ったことでも、何度でも言うの。分かるわよね。あら、あたしったら、説明したがりちゃんね。

 それでね、この”野暮”が行き過ぎると、皆さんが批判的になるの。ちょっと説明が足りないだけで、怒り出しちゃう。うまくできなかったことを、説明が無かったせいにしちゃうの。だから提供する方が怖くなって保身に走ると、コーヒーカップに「中の飲みものは熱いのでご注意ください」とか書いちゃうのよね。野暮よね

 こうやって問題を人のせいにしたり、怒りやすくなるのって、野暮を重ね過ぎた結果なのよね。”お客様に目線を合わせる”という言葉の危ないところよ。説明しないと怒られるし、説明しないと物が売れないから、どんどん説明に説明を重ねるの。もうツッコミようがないくらいまで。そうしたらほら、野暮な国の出来上がりよ。

 そもそもわたしが書いたこの記事自体が野暮よね。こんなこと書かなくても分かるはずだもの。「分かるはずなのに」って思いながら書くのよ。んもう、わたし、野暮よね

 言っておくけどわたし、オネエじゃないからね。冒頭でたまたまオネエ言葉になっちゃったからそのままきちゃったの。そんなこと説明しなくても分かるわよね。あら、別にオネエが嫌なわけじゃないわよ。

 んもう、わたしってホント、野暮よね。

 

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