勉強を発信する態度/整合性なきインタビュー記事
佐藤ひろおです。早稲田の大学院生と、週4勤務の正社員(経理職)を兼ねています。三国志の研究を学んでいます。
2週間前、早稲田大学のウェブメディアに取り上げて頂いたんですが、ぼくが言っていることが、ブレているんですね。
(問い)これからの意気込みを教えてください。
まず、研究者として研究書を出したいです。会社員であるとか年齢が高いとか、そういった留保なしに評価されるようになりたいと考えています。また、社会人院生のモデルケースになりたいという思いもあります。
【プロフィール】より
独学の頃から更新を続けてきたWebサイト「いつか書きたい『三国志』」など、『三国志』関連の情報発信にも力を入れる。発信の原動力は、研究成果のアウトプットだけでなく、実は「未来の自分に見せたい」という気持ちなのだという。研究に行き詰まるとヒントをもらいに過去の自分の投稿を見に行くのだとか。発信の副次的な効果として知り合いが増えていくのも楽しいと語る。
………???
ぼくをメディアで取り上げて頂いた理由は、会社員だけど大学院生になった、大学院生と会社員を並行している、というところにあった。また編集部の目にとまったのは、おそらくウェブで発信していたからでしょう。
・社会人院生のモデルケースになりたいという思いもある
・三国志の情報発信の原動力は、未来の自分に見せたいから
・発信の副次的な効果として知り合いが増えると楽しい
これ、企業の面接だったら、落ちているレベルの整合性のなさです。けっきょく、何が優先順位が第一なのか。何が目的なんでしょうか。全然、見えてこない。たとえば投資家に向けてプレゼンしたら、検討不足として門前払いされるだろう。一瞥して書類審査で落ちるレベル。書き直し!!
記者の学生さんに、インタビューをして頂いているんですけど、話しているうちに、どんどん自分が分からなくなっていくんです。
記者:Masaki Ueta @reRenaissancist さん
あと、取材に立ち会って頂いた大学職員さんに、「そこまで学問に思い入れがあるのに、どうして仕事を辞めていないんですか?」と聞かれて、答えられなかった。「経済的な安全性を……」と言葉を濁したけれど、そんなにお金に困っていないというのが、本当のところ。
取材を受ける側として、経歴や考えを整理していったつもり。しかし、インタビューを深掘りされると、かえってキャリア・カウンセリングをされているような感じになってきて、、自分のなかの破綻に直面します。
そのひとつの答えとして、昨日の記事があったと思っていて、
仕事は、ひたすら利己的なベクトル、目先の利益をまちがいなく刈り取るための「守り」「ぶんどり」の世界観の住人になってしまうけれども。学問のこぼれ話を発信したり、成果の一端をネットに載せたりするのは、純粋な人類愛?というか、社会全体に対する漠然としたポジティブな感情に基づいたものです。受取手が不在でよく、見返りがゼロでよい、という開き直りのなかでやっているんですよね。
発信の理由について質問されたので、むりに、「あとで自分で見返せたら役に立つ」「だれかに面白がってもらえたら御の字」みたいに言っているけど……それは事後的な理由づけでしかない。ただ、好きだから好きなことを撒き散らしていて。たまたま誰かに届いたら、それは望外の僥倖……!!という感じ。どうでもいいし、どっちでもいいんです。
心あたたかな投げやり。(←意味不明の造語)
仕事に対する態度との対比によって、発信活動の自分のなかでの位置づけが見えてきた、という気がします。
そして、
たまたまぼくの発信を見て、「もっと話を聞いてみたい」と言って下さる方がいたら嬉しいし、、三周か四周まわって、自分が本などを出したときの「販促活動」の一環になっていれば、それは、道ばたでコインを拾ったという程度の相関性でしかなくて、、それでよい……。
期待値・相関性の低い「販促活動」が成り立ったとして。そのような経路でぼくを認知し、講演に来て頂いたり、書籍を買って頂いたりすることについて、敢えて妨げることはしません、、「ウェブでぼくを知ったからといって、ぼくが発売したものを買うのをやめてください!」とまでは言いません。それは偏屈すぎます。ただし、べつに販促活動がしたかったわけではないのだが……なんかすみません、ありがとうございます、という感じ。
また、ぼくは政治家・活動家ではないので、「読者の皆さん!聴衆の皆さん!」と呼びかけるようなスタイルでは、発信をしていない。「言論によって他人が変化する」という世界観には生きていないからです。みんな、自分の人生に必死であり、わざわざ手を突っ込むのはおかしい。だれかに、そのようなことをする筋合いはないし、される筋合いもないと思っている。
ひたすら、自己満足、自閉的な発信をしています。
そういった意味で、発信にかかる金銭的なコストがほぼゼロのインターネットという媒体は、とても合っていたらしい。
これが、ガリ版?に鉄の鉛筆で原稿を彫りつけて、印刷して駅前や街頭で配らなければ自分の文をひとさまに読んでもらう手段がない時代ならば、ぼくは、何も発信しなかっただろう。
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