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給料は苦痛の代価か/風が吹けば桶屋は儲かるのか

佐藤大朗(ひろお)です。会社を休んで三国志を研究しています。
会社を休職しています。当然、その期間は無給です。給料なし。働いていないんですから、給料がもらえないのは当たり前(笑)

「自由」な立場になって始めて気づくことがあるんです。
新卒で会社に就職し、転職を1回挟んだものの、約15年間、ずっと「会社にご奉仕」してきました。すると、
給料は苦痛の代価である、
ということが、信憑性をもって感じられます。ぼくだけじゃなく、周りの人も、同じことを言っていたと思います。明確に、これを否定している人には、少なくとも会社のなかでは会ったことがない!!

「甘ったれるな。好きなことがやりたいなんて妄言だ」
「給料をもらっているのだから、我慢しろ」というかたちで、教訓のように言われることもあります。返す言葉もございません。

しかし、これは本当なのでしょうか??
会社を長期間休み、この思い込み・呪縛・強制力から解放されました。
逆にいうと、会社を休まない限り、これに気づくことができなかった。大学を卒業してから、ずっと勤め人だったので、解放されるすべがなかった。

現在の日本人の労働人口の大半は、会社員や公務員など、「雇われているひと」だそうです。国ごとに違うし、時代ごとに違います。ともあれ今日の日本は「雇われ」社会です。
そのなかで、「給料は苦痛の代価」という常識を撃ち砕くのは、簡単なことではない。疑問を唱えるのは、ほら吹き、奇人変人です。

思考を柔軟にするために、「風が吹くと桶屋が儲かっている社会」を想定してみましょう。
風が吹くと、桶屋が儲かる。風が吹かないと、桶屋が儲からない。桶屋が儲かっているのは、風が吹いているときだ。桶屋が儲かっていないときは、風が吹いていない…。
目の届く範囲で、例外がほぼ無いとします。「風が吹くと桶屋が儲かる」というのは、信憑性がある。疑う余地がなくなる。異論を唱えているひとは、ほら吹き、奇人変人、社会への不適応者です。
こんな社会なら、桶屋さんは経営が苦しければ、風よ吹け!と祈祷したり、気象庁に抗議の電話をかけたりするでしょう。

しかし、このコトワザの本来の意味が示すように、そうとは限らないんですよ。詭弁です。風が吹いても、桶屋は儲からないんです。たまたま、原因と結果が繋がっているように見えるけど、単なる錯覚です。

同じことが「我慢すると給料がもらえる」にスライドできます。
苦痛に耐えると、給料がもらえる。苦痛に耐えないと、給料がもらえない。高給取りは、いっぱい我慢しているひとだ。給料が安いのは、あまり我慢していないひとだ…。
「雇われ」社会の内部にいると、目の届く範囲で、ほぼ例外がないんです。でも、この因果関係って、正しいとは限らないんです。
内部では、「お金が欲しければ、もっと我慢しろ」とか、「我慢したから、もっと給料をくれ」とか、苦しいだけのアドバイスが飛び交います。しかし、本当にそうなのか??他に選択肢がないのか?
風よ吹けと祈祷している桶屋さんと、同じじゃないか??

これは、いちど、社会からドロップ・アウトしないと疑えないんです。
例えば、風の強さと、桶屋の羽振りが、あまり相関していない社会を覗いてみないことには、「風が吹けば桶屋が儲かる」を疑うことはできない。「余計なことを言ってないで、強風を祈ってろ!!」と叱られます。

会社を休んで、無給生活になり(それでもお金を得る方法は別にあるので)、初めてこの記事が書けたと思います。
じゃあ、お金は、何に対して支払われるのか??それは別の話なので、日を改めて書くことにしまーす。

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