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論文もラブレターも深夜に書いていいと思う

佐藤ひろおです。大学院に出席していると、いろいろな面白い現場に立ち会うことがあります。

あるひとが深夜、乗りに乗って書いて、「自分史上第一のアイディアが出たんじゃないか」と興奮してつくってきたレジュメを、ゼミの場所で、ケチョンケチョンに退けられてました。
「問題が共有されていない」と。

要するに、その角度での問いの立て方をしているのは、レジュメを作った論者だけであると。
たとえば、「青い洗面器を背負って歩く、最高の方法」を発明して特許を申請したとして、「赤い洗面器ならば、興味があるのだが」「洗面器は、頭に乗せるもの。背負ったところで、どーするの??」っていう感想を持たれたら、いかに優れたアイディアだって、却下なんですよ。

みんな、わりと冷淡な反応だったんですけど、
ぼくは、今回はダメだったかも知れないが、「青い洗面器」が視野に入る世界線があってもいいと思うし、「背負って歩く」だって、そこまで無価値だとは思わないんですけど……。

研究の価値というのは、着眼点によって規定されます。着眼点の良し悪しは、客観的な評価基準はなくて、過去の蓄積と「文脈」「系譜」によって決まってきますからね。「赤い洗面器を頭に乗せて歩く」ことに、みんなが夢中になって、数十年来、騒いでいる世界において、青い洗面器は、ノーサンキューなんですかね。
門外漢から見れば、赤くても青くても、頭でも背中でも、それぞれ面白いと思っちゃうんですけどね。

「赤い洗面器」は、ネットで検索したら出てくるネタだと思います。要するに、思わせぶりだが、部外者には意味不明、という比喩なんですけど……いずれの専門分野でも、少数の研究者のあいだで共有されている「メジャーな問い」って、同じようなところありますよね。

ラブレターは夜に書いてもいいと思う

よく、ラブレターを深夜に書いてはいけないと言いますが、ぼくは、いいと思うんですよ。だって、振られるだけじゃないですか。振られたところで、ダメージは、振られたことだけです。軽微です。
それに、相手との関係性が「脈あり」ならば、深夜に書いた、変テコな文章だって、それをキッカケにして接近できます。笑い話になります。

いつから……、たかが一通の文章によって、現実の関係性を変成できると錯覚……して……いた……??
うまく書けさえすれば、「脈なし」の相手と仲良くなれるものなのか?

むしろ、深夜のおかしなテンションにせよ、接近するキッカケを作ることができますから、その一事をもって、メリットのほうが上回ると思います。一歩、踏み出すことができなくて、何もしないうちに、いよいよ遠ざかるよりは。
ラブレターを必要とするほど、「遠い」関係性の相手なんて、特段の理由がなくても、遠ざかっていく一方ですから。

論文のアイディアだって同じで、勉強をしていると、なんやかんやで深夜になってしまうことは日常茶飯事だし、
深夜の熱量、興奮、視野狭窄、独善のパワーを借りて、オリジナルなアイディアを思いつける(かも知れない)ならば、メリットが上回っており、お釣りがくるんじゃないですかね。

これは、ゆくゆくの研究発表で、武蔵坊弁慶の最期をなぞるかも知れない、自分への予防線であり、「励まし」の予約であります。

もし、持っていったアイディアが「青い洗面器」で、研究的にダメだとしても、ゼミで、ケチョンケチョンにされるだけ。とてもツライですけど、そのひとへの評価と信頼は、揺らがないです。
ていうか、アホな発表をして、ゼミのなかで名誉が失墜するんだとしたら、はじめからなかったんですよ、名誉なんて。今回、発表で「被弾」していたひとへの信頼と評価は、ぜんぜん揺らいでいないと思います。

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