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働かないおじさん・社内ニートが生まれる原因

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねています。

本を読んでいます。
河合薫『働かないニッポン』(日経プレミアシリーズ) 新書– 2024/1/11

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働かないおじさん・社内ニートにかかわる本です。この本の結論は、「ジジイ」が職場の要職を占めており、「働き損」になっているという話。表現はわざと過激な風味ですけど、中身は「あるある」ネタでした。

ぼくがこの本を買って読んだのは、
「あのおじさんが許せない」
「あの社内ニートをさっさと解雇しろ」
と感じているから、ではありません。

自分の20年近くのサラリーマン人生を振り返ったとき、「たいしたことをしてこなかったな」と思うからです。
ほとんど働いていない。
業務命令に逆らったことは、基本的になかったと思いますけど、いわゆる仕事の8割以上が、「地面に穴を掘って、出てきた土を右から左に運んで、その土でまた穴を埋め戻す」のくり返しだったと感じます。

上の本では、30代エリートであるにも拘わらず、仕事に手応えがなく、欧米の老後なみに向上心が削がれた、みたいな話があります。

ぼくは25歳ぐらいのころ、当時の勤務状況を人材紹介会社(エージェント)に話したとき、「その若さでリストラって(笑)」って、笑われたことがあります。いや、全然ありますよ、そういうこと。

状況は時々で異なりますが、「働かない若者」「社内ニート」だったぼくは、加齢により「働かないおじさん」に進化しているような気がします。目先の作業量は多いけれど、人生の大切な時間・エネルギーを有効に使えているのか?って振り返ると、主観的な心情としては「妖精さん」です。

「いったいぼくの職業人生は、どうしちまったんだ?」
と思って、上の本を手にとりました。

なんでこんなことになるのか。
「ヒマだから」
でしょうね。ぼく個人が仕事を適切な与えられていないとか、特定の上司が悪いとか、部署や会社に問題があるという話ではなく、もっと日本経済全体の雰囲気が「ヒマ」で溢れているように感じます。
※記事タイトルの問いかけの回答はこれです

ヒマというのは、「仕事に対して人員が多い」という意味です。
需要と供給のバランスが悪かった。人手余り。
(企業から見たとき、労働力の)買い手市場!!

ぼくは就職氷河期の最後の年代なので、最悪のダメージはこうむっていません。しかし、二十年来、「働き手が多すぎる」社会を生きてきたような気がします。企業が強気なので、就職活動の面接が「懺悔のような宗教的体験」「人権がないことを分からせる拷問」のようになります。
数十年にわたって、給与が上がらない社会でした。
(個人的には少々豊かになりましたが)

教科書的な経営判断は、人手が余っているなら、
・新しい仕事を取ってくる(もうかる仕事を増やす)
・人手を減らす
の2つの選択肢があります。
前者のもうかる仕事を増やすことは、あまり行われてこなかった。後者の人手を減らすことは、90年代以降「改革」の名のもとに「コストカッター」が英雄視されましたが、もう限界。ひずみが大きくなるだけ。

人手がダブついているから、「日本の労働者は守られすぎ」「雇用の流動性が低い」という法律が批判されることがありますが、労働者を攻撃しちゃダメですよね。弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く、、みたいになっていて地獄です。
むしろ、労働者が現職を動けない、退屈な会社にしがみ付かざるを得ない経済環境、社会的な了解こそ問題なのであって、自分の立場を見失い、「正社員を切れない」って憤慨するのは、おかど違いだと思います。

もうかる仕事を作るでもなく、人手を減らすにも限界だ。「ヒマ」になったぼくたちの勤める日本企業で、何が始まったかというと、
・もうからない仕事を作る
・相互監視を強め、マジメなポーズを求める

緊急・重要な仕事は少ない。テンポよく片付けられるタスクもない。しかし、1日8時間は「働いた」「働かせた」というアリバイが必要です。そこで登場するのが、「地面に穴を掘って、出てきた土を右から左に運んで、その土でまた穴を埋め戻す」みたいな仕事です。

もうけに繋がる仕事なら、社員も取引先も、緊張感をもって効率的なコミュニケーションを取り、(細かなトラブルはあるにせよ)一致団結して付加価値を作ろうとするでしょう。
仕事をがんばるのって、本来はけっこう楽しかったはずです。※恐らく

ところが数十年来、もうけを生まず、「ためにする」仕事、管理のための管理が多すぎるから、コミュニケーションがダレる。レスポンスが遅くなるし、へんな行き違いでモメ続ける。

人間はバカではないので、やっていることに意味がないな、というのは、(口に出さないが)分かっています。その場合、どんどん腐って仕事を面倒くさくしていきます。ハラスメントで気分晴らしをする。
ハラスメントが発生すれば、これ幸いと、ハラスメントの予防活動のために方針を立て、研修をして、PDCAサイクルを回して、反省をして、資料にまとめて、予防活動じたいの評価をして、その評価をして、、そのまた評価をして、、という無限スパイラルが起動する。
※ハラスメントをしてよいと言いたいのではない

人事評価のために膨大な書類を作ったり、小刻みに面談をしたり、評価の仕組みをコロコロ変えたり、、「360度評価」なんて人間関係を息苦しくする「離間の計」なのでお笑いですけど、人事評価に係る研修メニューがどんどん充実していく。
「人事評価のコスト」が膨らむのは、会社がもうける活動に精を出していないから、パイ(給与の原資)が増えないので、分け方について、どんどん口うるさい社員が増えた結果です。

無意味なことをやって、限られたパイの争奪をするので、なるべく失点が少ない人が勝つゲームになる。
マジメな顔をして、めったに席を立たず、何もないパソコンの画面を意味ありげに注視し、こまめにファイルを開いたり閉じたりして、数秒ごとに間断なくキーボードやマウスを操作する「実績」を作れたひとが一等賞です。

コロナ禍のときテレワークを強いられ、テレワーク中の労務管理として、自宅なのにカメラを常にONにさせられたり、キーボードやマウスの操作の実績を監視したり、アクセスのログを見咎められたそうです。
コロナ禍は「言わずもがな」の勤務環境のルールを顕在化しましたね。出勤したときの管理も、要するにこれだったのです。「勤務態度がそれっぽいか」を見られていたのです。成果なんて、みんな一様に乏しいから。

なんだグチかよ、って記事ですけど、希望はあって、
・働き手不足
・給料アップの圧力
が働いているようです。「こんなこと、やってる場合か」という合意が得られれば、へんな「意識改革」「研修の受講」「社訓の唱和」などをしなくても、おのずとみんな、緊張感をもって働くようになると思ってます。

いま、時代の転換点に立ち会っていますが(転換点であることは希望的観測ですけど)、生まれる時代はもう変えられないので、もう「ヒマなお勤め」の社会からはドロップアウトしたいなと思ってしまいます。

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