「発信者としての自覚」が発信者を黙らせる
佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)です。20年弱続けた会社員生活を辞めて、アラフォーの無職、専業の大学院生です。
10年以上前に、ネットの匿名の書き込みで言われたことがあります。「あなたは影響力のある発信者なんだから、その自覚を持つべきだ」と。ひとり、ふたりじゃなくて、ものすごくたくさんの匿名氏に言われた。
これ、「三国志」に関するウェブページに、思ったことを書いていて、間違ってる!!客観性を欠く!!オレのお気に入りの意見と違う!!とかのお叱りでした。当時は、「なんでそんなことを言われるのか?」と思ったものです。いまも同じ意見です。
間違ってるのはダメですけど、生半可な個人の勉強用メモサイトが間違ってても、べつにいいんじゃないかと。※故意のフェイク拡散はダメですが
別の話をさせてください(でもすぐに合流します)。
独自のノリとか、尖った内容を持っていて、好きだったyoutubeチャンネルがありました。金融や投資系のチャンネルなんですけど、へんな歌をうたったりしてた。全方向からつねに正しいか?と言われれば、全然そうでもないんですけど、youtubeですからね。youtubeじゃなくても、出版物でも同じですけどね。見たいひとが見るし、見たくないひとは見なければいい。
でも、フォロワー数(チャンネル登録数、視聴回数)が増えると、どんどんマジメで無難な方向になっていきます。つまらなくなります。
このチャンネルの製作者は匿名です(顔出ししてないし裏声)。しかし、見ているひとが増えると、責任感をかってに持ってしまって、マジメな動画しか作れなくなってきた。
「もっとふざけたい。偏りたい!」
「どうでもいい動画を、もっと高頻度で上げます」
という苦しみの軌道修正メッセージを定期的に出すんですけど、
チャンネルがどんどん成功して(フォロワー数が増えて)ますますマジメになっていき、ついには更新が止まってしまいました。
たまに動画が出るとしても、まったくマイルドです。「東の皆さまに配慮して、西の皆さまも大切に、北のあなたもご立派で、南のために発信しますが、中央の方がご機嫌をそこねることが怖いので、あらかじめお詫びしますね。予防線を張ることは、不適切かも知れませんけど、予防線を張らないことは、どなたかの不利益になってしまう可能性が1%でもございますから、この内容でお許しください」みたいになっていく。
つ、つまらん。。見なくてもいいや。。
マジメな内容だけならば、あんまり突っ込まれないのではないか。小難しくすれば、だれにも見られなくなるから、突っ込まれなくなるのではないか。
もう、なんのための発信だか、ワケが分からないです。
その「つまらなくする化」の圧力を自覚し、「あえて本音を言いますね」と定期的に表明しながら、それでもスパイラルでつまらなくなる。
だれが発信者を殺したのか。
「朝食はご飯よりパン派です」というと、お米農家を忖度しろ!と叱られて。「パンとご飯を交互に食べます」というと、「朝食をとる余裕がないひとの気持ちを考えたのか?」「小麦は有害なのに食べるんですか」と言われ。「朝食を食べたり食べなかったりします」と言えば、「子供の教育によくない」と言われ、、。
これもはや、かつてのコウキョウのデンパ、キトクケンエキと言われるもののなかでの発言じゃなくて、どこのだれだか分からないマイナーなひとが、数百人ぐらいしかフォロワーがいないのに、「わたしは青色よりも赤色が好きかも」というと、「幼少期の流血のトラウマがよみがえるんだが。配慮が足りない」「青い血を飲んで、ああ美味ちい!を連想させるから、不謹慎だ」「いやいや、血が青色の甲殻類に対する配慮がない」「色によって優劣をつけるのは、いかがなものか」「今日、青い服を着てきたひとを侮辱しているのか」ってなりますからね。
いや、知らんよ。でいいと思ってますけど。
ネットの反応に対する、99.99%の感想に対して思うことは、「who are you」です。それを言うあなたは、だれ??
10年以上前に、「なかばコウキョウ、コウテキな発信者なんだから、自覚を持て」と言われたとき、「貴重なご意見ありがとうございます」とか、どうでもいい返しをしながら(途中から返すのもやめた)、いや知らんよ、という直感を持ったのは、それで良かったと思います。
この記事のレベルで、ほとんど「何も言っていない」のに、「タブーにいどんだ」「尖ったメディア」「無謀で勇敢なアカウント」みたいになりますらね。どうなっちゃったんですかね。
「コメントをする」を、SNS上の主要なコミュニケーション、視聴者の反応として要請したことが、プラットフォーマーのセンスが悪かったというか、ムリだったんだと思います。いまから思えば、小中学校の教室の「感想」ですら蛇足でした。本来、コメントなんかしなくていいんですよ。でも、「コメントをしましょうね」と言われるから、むりやり、へんなことを捻り出す。結果、だれも望んでない正しさの議論が起きる。発信者の思考パターンや発信内容をしばる。
同じテーマを深く考えたことがない視聴者は、もはや現代の配信においては、「イケメンですね、美女ですね。尊いですね」ぐらいしか、言っちゃダメなんですけど、双方、何の足しにもなりません。言うに事欠いて、内容のあることを言おうとしたら、すべてが蛇足です。イイネを押すか、無言で見るので十分なんですよ。
SNSへの滞在時間を延ばさせるために、コメントを要請する、コメントを残させる、コメントが多いのがすぐれたコンテンツだ、という文化を作ったのでしょうが、陰謀論レベルに有害です。コメント文化という前提が間違っているのではないか。おたがいに不幸です。こまめにコメント返しをするヒマがあったら、双方、新しいコンテンツを作って、読み合って、すれ違い続けたほうがいいです。
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