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就職・転職活動の自己PRでメンタルが壊れる理由/解決法は?

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねています。

博士課程の大学院生として、日本学術振興会の特別研究員に応募しました。
研究計画書を書く(書かされる)ことは予期していましたが、自分の強みと弱み、過去の手柄や、未来の希望などを書く必要がありました。
これに心を削り取られて、数日間は、茫然自失でした。

特別研究員に採用されるために書類を作る=就職活動
だったんですね。(採用されても期間は2年のみ)

就職活動・転職活動では、自己PRが求められます。
これは、メンタルが損耗して破壊される心地がします。

大学卒業時の就職活動では、「全身全霊で自分をアピールしたのに、採用されなかった場合、人格否定されたような気がする」ことが理由で、メンタルが壊れるのだと思っていました。ぼくは2000ゼロ年代半ば、30社から50社ぐらいエントリーしましたが、採用試験で落とされるたびに、だんだん病んでいくという経験をしました。
「何十社も応募したのに……」は氷河期・中年の共通体験です。

今回、日本学術振興会の特別研究員に応募する書類(原稿用紙30枚~40枚を書かされる)をつくるとき、まだ不合格になっていないのに、メンタルが削られていったんです。
なぜか。
自分の心の動きを観察しました。
「メンタルを安定させ、幸福度を高める生き方」と正反対のことをしているからだ、と自覚できました。

メンタルを安定させ、幸福度を高める生き方とは、「今・ここ」に集中することです。瞑想(メディテーション、マインドフルネス)では、「今・ここ」に集中しろと言われます。ぼくは、うまく瞑想できませんが、言わんとすることは分かります。
・過去のことを掘り起こし、価値判断をするな
・未来を過剰に想定し、起きもしないことを憂うな
これが瞑想の方法です。
過去にもう済んでおり、今さら変えられない。それにも拘わらず、済んだことを思い起こしては「これは良かった」「これは悪かった」と価値判断を加えることで、人間の精神、自己肯定感は壊れます。まだどうなるか分からない未来のことを想定し、「ああなったらどうしよう」「こうなったらいいな」と考えても、やはり精神は壊れます。
不安で眠れない夜、陰鬱な思考の無限ループの世界。

「今・ここ」でやろうとしている仕事(研究)を表現しろと言われれば、精神が削られることはない。仕事(研究)の内容を練り上げたり、それを実行することはとても苦労するし、体力的に疲れますけど、メンタルが削られるタイプの苦しみではない。
しかし、「過去のおてがらから、あなたの将来性を証明せよ」「強みと弱みを示すエピソードと、不足点を克服する方法を宣言せよ」「未来への意気込みを歌え」などは、「今・ここ」から遠ざからないと書けない。
これは病む。確定で病む。病ませにいっている。

自己分析・自己PRは、不合格になる前から、そもそも病む。病むような精神の使わせ方を強制している。これで不合格が続くようならば、さらに病むだろう。「今・ここ」から乖離するほど、不可避的に病む。

だったらどうするか。
まず、「自己分析・自己PRは、誰がどのようにやってもメンタルをおびやかすものだ」とわきまえることでしょうか。「酒を飲みすぎたら酔う」「ドカ食いしたら眠くなる」「走ったら息が切れる」ぐらいの物理的な現象であれば、その現象自体を気に病むことはないはずだ。
つぎに、友人知人や同僚と内容をシェアして気を紛らわす。決して自己分析の妥当性をチェックさせるためではない。「あなたから見て、私の強みはナンデショウ?」なんて重苦しい質問をぶつけあって、気まずくなるのは得策ではない。そうではなく、傷をなめ合うのがよい。これにより、「だれが同じようにやっても病む」ことが可視化され、不必要にマイナスなループに深入りすることを防げる。

対策がちっとも対策然とせず、根本的な解決策になってないじゃないか、という気がしますけど、知りもしない第三者を採用する立場(企業、学術振興会)と、採用されたい求職者のあいだのコミュニケーションは、「自己PRしてください」「強みはナンデスカ」「過去を懺悔しなさい」「未来への意気込みを、さあさあ御一席!」みたいな虚しい会話になることは、ある程度は仕方がないと思うので、これを所与・不可避のこととして受け入れて、耐えるしかないのではないか。

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