縄文人になって勉強する/健康な食生活との共通点

佐藤大朗(ひろお)です。会社を休んで三国志の勉強に専念しています。
世間には、さまざまな健康法、食生活のアドバイスが溢れています。健康法のアドバイスを勉強に活用できないか?という思いつきです。

ぼくは専門家じゃないので分かりませんが、現代人のカラダは縄文人と同じであり、近年(ここ数百年)の環境の変化に適応していないとか。

たとえば、甘い物とか炭水化物など、糖質の高いものを美味しいと感じるのは、カラダの標準設定が飢餓状態であり、食べられるとき食べておくのが、生存戦略として最適だから。
そういうわけで、「(わずかに味さえ変えれば)ご飯を何杯でも食べられる」とか、「甘い物に目がない」となります。太ったらダメ、健康診断の数値が悪化するからダメ…と、アタマで分かっていても、カラダの標準設定に引き摺られるから、食べ過ぎてしまう。

縄文人はナッツを食べていたから、現代人にとっても、ナッツは健康のために推奨されるとか。
縄文人が食べていたのと同じ物を食べていれば、虫歯になることはない。でも、穀物とか砂糖を食べるから虫歯になる。だから歯磨きが必要なんだとか。これらの真偽は、ぼくに聞かないでください笑

勉強も同じだろうと、仮説を立てます。
人間は、基本的に忘れます。
それは、縄文人(他の種類の動物と競って生き残り、狩猟採集をしていた人類)が、生存に必要な情報だけを頭に入れておいて、「判断が遅い」となるのを防ぐため。パソコンやスマホだって、不必要なプログラム・アプリをインストールしまくって、重たいファイルをデスクトップに置いておけば、動きが遅くなります。

たとえば、ぼくは英単語を、ほぼ全部忘れました。英語を私生活でも仕事でも学問でも、必要としなかったからです。これは、縄文人の脳にとっては、ノイズというか、有害情報です。
「せっかく勉強したはずなのに、忘れてしまって残念」と嘆くのは、現代人の視点です。縄文人としては、「ちゃんと不要なファイルを整理したよ!オレって優秀だな!ほめてくれ!!」という感じでしょう。

ところが、「実際には使用しないが、暗記しなければならない」ことがあります。たとえば受験で使う項目とか。…その場合、縄文人としての脳をあざむいて、さも「生存に必須の情報だ」と擦り込むことで、記憶を定着させる必要があります。
どうやってだますかというと、繰り返し使用する。むりに状況を作り出してでも、繰り返しアウトプットをする。すると、「これだけ使用頻度が高いのだから、もしや重要な情報ではないか」と、縄文人としての脳が、勘違いするはずです。 #ここが結論

パソコンとかスマホの例ならば、
使いものしないアプリだけど、毎日立ち上げる。そして、(用事はないから)すぐに閉じる。見たくもないファイルだけど、毎日いちおう開く。(用途はないから)すぐに閉じるけどね…と。
現代人の脳ならば、「開いてすぐ閉じるなんて、けっきょくは不要だろ」って捉え、むしろ忘却に持っていこうとするでしょう。しかし縄文人の脳は、「これだけアクセス頻度が高いのだから、生存に必要な情報に違いないぞ」と誤認します。
われわれのカラダは、脳という器官もふくめて、縄文人のものを引き継いでいますから、記憶に定着します。

食生活に限らず、勉強においても、自分のなかの縄文人とうまく付き合うべし。ときには縄文人をあざむくべし。というお話でした。
要するに、「反復練習せよ」っていう、むかーしむかーしからの教えなんでしょうけど、こういう仮説によって、現代人の自分をあざむき、あんまり楽しくない暗記作業とか練習に、取り組むんです。

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