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研究者はツイッターで研究内容を発信すべきか

佐藤ひろおです。会社を休んで、三国志を研究しています。

ぼくが通っている早稲田の研究室で、ときどき(しかし定期的に)出てくる話題に、研究者は、ツイッター(短文投稿形式のSNS)で研究内容を発信すべきか???
というテーマがあります。

これは研究室という、一種のクローズな場で交わされている会話です。ほかのひとの意見を吹聴するのは、アンフェアだと思いますから、ぼくの考えだけを書こうと思います。
ぼくの答えは、「NO」です。研究者は、ツイッターで研究内容を発信すべきではありません。ましてや、ツイッターで議論などしてはなりません。

以下、会社員であるぼくが、いま学問に関わりを持っている(持ちたいと思っている)ので、学問にひきつけて話をしますが、後半では、ビジネスマンのSNS活用にも重ねて、お話しします。 お付き合いください。

学問とツイッターの距離感

誤解をしていただきたくないのは、「インターネットで、研究成果を発信するのがダメだ」と言いたいのではありません。
短文投稿形式のSNSがダメだ、と言っています。

ネットでの発信を封殺してしまえば、大学・大学院に入学したひと、講演会を聞きにきたひと、学会やシンポジウムの参加者、学術論文雑誌や書籍を読むひとだけにしか届きません。それは、現代社会では成り立ちません。研究成果という、宝の持ち腐れとなります。

もし研究内容をインターネットに載せたいならば、論文や本にして発表して然るべきでしょう。それ以外に、何もないですよね。

査読ありの論文雑誌に掲載されることは、容易ではありません。商業ベースの出版社から、書籍を出すことも用意ではありません。内容面の品質保証、金銭的な制約などが伴います。査読ありの雑志・商業出版しか、成果を表明する手段がないならば、「成果を開示できるのは、ひと握りの極めて優秀な研究者の特権」となってしまいます。
じっさい、「それでいい、努力せよ」という意見もあると思いますが、ぼくは、自分がひと握りの優れた研究者ではないので、もう少し柔軟であってほしいと(自分のために)思っています。

実質的に査読なしの論文雑志や、ほぼ金銭的リスクのない自費出版(電子書籍、同人誌)という手段が、現代には用意されています。
短文投稿のSNSはダメと言いましたが、ブログやウェブサイトでも発表はできます。グレーゾーンだと思いますが、このnoteも、腰を据えて発信できるメディアだと思います。

明治大正の文豪たちのように、雑志を自分で立ち上げたり、ネットで呼び掛けて研究会を開くことだって、手段としては開けています。一念発起した瞬間に、だれでも「会長」です。

なんにせよ、研究成果というのは、時間をかけて蓄積と内省をくり返し、身を切られるような自己批判をくぐり、責任ある(社会的な身元を確かめ合ったひと同士のクローズな)議論によって、練られるものだと思います。

匿名の個人が、脊髄反射的に断片的なコメントを濫発する(濫発し得る)ツイッターで、意味のある発信や議論ができるとは思っていません。

言い方がむずかしいですが、「研究を辞めてしまったひと」「研究ができなかったひと」が、ツイッターという場所を借りて、むかしを懐かしみ、研究モドキを開陳しているように思います。なにも生まれません。
言いたいことがあるならば、査読あり論文はハードルが高いにせよ、まとまった文章を書いてください、としか思いません。
もちろん、ツイッターになにを書いても個人のかってです。言論の自由は、大前提と存在しています。ぼくは、そういうアカウントを、そっとミュートする、というぐらいの距離感です。

ビジネスマンはSNSに漏洩しない

学問が……、と書いてしまったので、取っつきづらいかも知れませんが、ビジネスマンに引きつけると、分かりやすいかも知れません。
大学卒業、大学院進学、修士課程、博士課程、、と進むと、研究=生活なので区別が付きにくいですが、ビジネスマンは、自然と切り分けているという印象があります。

仕事の内容を、逐一、社内の会議書類、社内LANやメールのような調子で、ウェブに書き散らかしているひとは、いませんよね。

どこどこ社のだれだれさんと会議しました、こういう案件があって、金額はいくらで、技術的にはこれこれが問題で、仕入れ先のあの会社と……という具体的は話は、さすがに書きません。
事務ミスが起こったとして、これこれシステムの、あのボタンを押さなかったから、こういうモレが生じたので、再発防止として、あの部署のあのひとに依頼して、こういうルールを定め……とか、書かないです。

研究内容をツイッターに書き散らかして、議論しているひとは、仕事の内容を、逐一、オープンな(社外のひとも読める)SNSに、書いちゃってるようなものです。
どこどこ部署の、だれだれさんに、こんなこと言われてー。
つぎに特許を申請するこの技術ですが、ここが新しくてー。みたいな。

社員同士、あるいは取引先との会話を、オープンなSNSでしているようなもの。商談、役割分担や利害の調整、意見交換を、衆人環視のもとでやるようなものです。そりゃあ、ないでしょうと。
会社の場合、機密管理だのなんだので、注意が入ります。研修を受けさせる会社も多いです。下手したら、損害賠償を求められるかも。このあたり、リテラシー教育として、うまく出来ています。
(社員のネット利用を締め付けすぎて、活力を失っている会社も多いと聞きますが、それは別のお話)

ビジネスマンもSNSを使いこなしている

じゃあ、ビジネスマンは一様にネット世界で口をつぐんでいるかというと、もちろんそんなことはなくて、
商品やサービスというかたちを経由し、世間との関わりを持っています。この商品を買ってね、サービスを使ってね、という宣伝は、ネットが得意とするところです。商品やサービスを完成させたあと、ネットで伝える。

研究開発の会議は、社内でクローズにおこなう。商品がリリースされたら、対外向けにアピールしていく。当たり前ですよね(笑)

企業における商品やサービスの提供は、研究者が論文や書籍に成果をまとめ、それをネットで広げていく、ということに準えられます

そして、ビジネスマンは、仕事を通じて感じたこと、実務のノウハウ、キャリア形成とか、組織運営・人材育成など、一段階だけ抽象化し、発信することがあります。
べつに、ポジティブな内容であるべき、有用であるべき、とは思いませんが、個別的なグチになってしまっては、どうしようもないっす。固有名詞を伏せてあるだけの垂れ流しじゃあ、困ります。

このあたりは、学者が、個別の研究テーマについて、さみだれ式にSNSに垂れ流すのではなく、「学問や勉強のこと」「(学生や学者としての)生活のこと」を発信することに準えられます。SNSの活用はアリですね。

……以上、研究者とインターネット配信について、約15年の社会人経験を持つものとして、思うところを書いてみました。

最後に。お前は、ツイッターをやってるじゃないか、研究テーマに関わることを呟いているじゃないか、
というお叱りもあるでしょう。言行不一致じゃないかと。
大学院でも、「ひろおくんの前で言うのは、はばかられるが(笑)」という前置きで、インターネットとの関わりについて、目の前で会話が行われることがあります。
この点も、すでに整合的に消化できてます。「学問とツイッターと私」については、記事を改めます。

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