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FIRE2日目-3日目

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねていました。いまは有給休暇の消化中です。8月下旬に退職します。

FIRE生活1日目は、自分を取り戻しつつあるという日記でした。

FIRE生活2日目-3日目も、同じような感じで、メンタルが回復中。

「会社を辞めたから、すぐに回復」かと思いきや、在宅勤務が多かったので就業中と環境が変わらない、というのが回復を遅らせているのではないか、という気がします。
在宅勤務といっても、「何をやっているか分からない時間」「何を待っているか分からない時間」が多かったので(体感値として4分の3ぐらい)、自宅にいても、気が晴れなかった。会議に出ても、回線を繋いでいるものの、どうにもならない時間が多かった。時間どおりログインすること以外に、ぼくが心がけたことって何もないです。「何も決まりませんな、進みませんな」という儀式の「見守り」する時間??作業をしていても、それらの意味が(恐らく)社内のだれも分からないものが多かった。

やってもやらなくても同じで、必須の実働・稼働が4分の1ぐらい(1日に換算したら2時間程度)ならば、「ラクで大当たり」の職場ではないか、という捉え方もできましょうが、辛かったんですよ。
どうやってその手持ち無沙汰・無意味な感じを解決していたかというと、ひたすら昼寝してやり過ごしてました。自分のために時間を使うことに罪悪感・背徳感がある。適切に仕事をすることが会社軸でプラス10ならば、昼寝していればプラスマイナス0。自分のために時間を使ったらマイナス10となる。マイナス10は自責の念が激しいから、せめてゼロにしようと考えていました。ものすごく「しつけ」られていますね。

こんなに我慢しても(我慢しているだけなので?)年収が上がる希望があるわけでもなく。2024年4月の年度替わりで、昇給の幅がインフレ率に負けたので、退職の決心がつきました。ありがとう会社。

とりあえず、パソコンから会社用アカウント(複数のソフト、情報交換アプリ、メールアカウントなど)を削除し。自宅の机の上から、会社貸与のノートパソコンが消えてくれたことで、メンタルの浸食が止まった。

在職中の感覚をたとえるならば、自分の体(はら・背中)に、1.5メートルぐらいの長さの鉄パイプがいっぱい刺さっていた。体を貫通し、四方八方にハリネズミみたいになっている。手足を動かすと引っかかる。自分の体の輪郭が定まらない。ふつうに歩いているだけでも他人にぶつかり、通行のジャマ。悪気はないけれど、ガチャガチャと衝突し、そのたびに刺さった部分が痛む。振り返って「すみません」と言おうとすれば、その胴をひねる動作によって、また鉄パイプが他人にぶつかって、「すみませんすみません」となる。不愉快だけど、このパイプを抜くことができない。刺しっぱなしにすることで、給料が発生しているのだから……。
いまは、鉄パイプをズブズブと抜き、一時的に傷口が開いたけれど、荒療治でチクチクと傷口を縫った。体を動かすと「つっぱる」痛みがあるけれど、そのうち傷口が塞がるだろう、という気がする。

人間らしい働き方

治癒の第一歩として、「いま何時?」「きょう何曜日?」という感覚が薄れてきた。さすがに昼と夜の違いぐらいはあるけれども、細かく「いま11時30分だから」「いま14時20分だから」みたいな1日の捉え方をしなくなった。1日をかけて、1つか2つ、成果・手応えがあればそれでよい。
曜日は、大学院の授業がある火曜日を忘れて過ごさないように注意はするけれども、それ以外は曜日を認識するニーズもない。そもそも、曜日こそ人工的な指標でしかなく、明治以前はありませんでしたしね。

何時だからこうあるべき、何曜日だからこうすべき、という管理の仕方では、成果なんか出ないんですよ。人間の心と体って、そういうふうに出来上がっていませんから。産業革命?のときの工場の労務管理者?のニーズであって、それと自分の人生は無縁です。

むしろ、何時であろうと、何曜日であろうと、自分がやるべき、やりたいと内側から感じたことには、延々と取り組むことができます(ぼくの場合は三国志の研究)。捗らないな、振るわないなと思ったら、いつでもやめていいと思うんです。寝て起きたら、またやりたくなっているので。

火曜日は終日、大学院でした。水曜日、木曜日(今日)は、研究のための作業を「ちびり、ちびり」とやっているので、FIRE2日目-3日はいい感じではないか。論文を1つ読む。仮説を1つ立て、資料を確認し、一喜一憂する。ああ生きてるな、という気がします。
ついでに、評価額が上がった株を少しだけ利益確定する(笑)

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