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FIRE生活1日目

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねていました。

今日は15年以上続けた会社員を辞めて、1日目でした。
厳密には、最終出社日を終えて、有給休暇を消化中です。退職予定が8月下旬なので「50連休」ののちに、健康保険証を会社に返却して正式に晴れて「無職」です。

1日を過ごしてどんな感じだったか。
「身体が輪郭を取り戻していく感覚」があった。

むかしテレビ番組で、行方不明のひとの居場所を超能力で当てる「超能力調査官」が登場していました。アメリカなどの捜査機関に所属しているという触れ込み。
とあるインターネット怪談で、子供を誘拐された親が、超能力捜査官に質問します。「うちの娘はどこにいますか?まだ生きていますか」
捜査官「あなたの娘は、世界中の国々にいます」

このネット小話のオチは、誘拐された子供は、身体の部位や内臓を切り刻まれて、全世界に売り飛ばされた。だから娘さんは、世界中の国々に点在しているのだ、という感じです。そんなアホな。

さて本題ですけど、週4の会社員と大学院生を兼ねているときの自分は、身体や心が、世界各地とは言わないまでも、見ず知らずの場所に飛び散っている感覚でした。
おもに会社に関連して、コントロールできない情報やタスク、納得していない振る舞い、理由の分からない事情、どこのだれにも責任と主導権がない荒野が広がっていて、それに付き合っていたら、身体と心がまとまりを失ったようです。
脳みそや臓器がばらばらになり、培養液に個別に沈められ、ケーブルやチューブに繋がれ、辛うじて死なずにいるけれど、ひとのテイを成していない、という感じだった。輪郭とまとまりが感じられなかった。

最終出社日を終えて、久しぶりに鏡で自分の姿を確認しました。会社に行っているときは、鏡すら見たことがなかったんですよね。そして、「あ、ぼくは自分だな」と気づきました。

身だしなみのチェックはしていましたが、それは必要なチェック項目をつぶしていただけで、人間としての自分を見ていたのではなかった。

最終出社日の翌日は、まだ自分が像を結んでいなかったようだ。スーパーの下り階段についた全身が映る鏡で、階段を降りるおっさんの姿が映っていて、「あ、自分はこんな姿だったか」と思ったら、前を歩いている別人の姿だった。鏡が貼り付けられた柱の横を通ると、横目に「誰か」の横顔がちらっと見えるが、あ、これは自分なのか??と分からなかった。何だかイヤで、鏡を見返せなかった。
会社から離れて数日が経過して、自分というものが輪郭を結んできた。

まるで、体に付いていないはずのパーツ(3本目の腕、背中から盛り上がったラクダのこぶ、あごに垂れ下がった肉腫など)が存在していて、ひとならざるものの形をしていたけれど、それらを「人間」の型紙を参考にして切り取って、1人分の人間のかたちを取り戻した、という感覚です。

ひとによって違いますけど、ひどく酔っ払うと、感覚が狂うと思います。頭がぐわんぐわんすると、「ろくに人間の形を留めていない」ような気がする。しかし当然ながら1回や2回お酒をたくさん飲んだだけで、骨格が変わるわけでもなければ、肉の付き方が変わるわけではない。そんな感じで、現実感がないし、力も入らなかったし、頭も働かなかった。

メンタルがやばかった、という自覚はないんですけど、こうやって書いてみると、メンタルがやばかったですね。

そんなに忙しい仕事をしていたわけじゃないけど、1日に何回も、目的が分からないWeb会議が始まることはない。Web会議のたびに、違う利害関係をもった立場、ペルソナを使い分けなければならず、ワケが分からなくなっていた。1日に何通も、メールの送受信者がともに「自分でも何をしたいのか/何を言いたいのか」すら分かっていない、変テコなメールが飛び交うことがない。
抜群の「対人スキル」の持ち主ならば臨機応変にキャラを使い分けて、相手の裏の裏を読み取って、10種類ぐらいの仮面を高速で取り替えるのかも知れませんが、ぼくはそれが出来ませんでした。

とりあえず、1人分の自分を取り戻せそうな1日でした。

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