見出し画像

熊本の菊池武光のノベルゲームをやりました/菊池観光vol.0

佐藤ひろおです。会社を休んで早稲田の大学院生をしています。
研究とまったく関係ないですけど、熊本県菊池市に旅行します。

菊池市役所 経済部 観光振興課 菊池一族プロモーション室のつくっている観光サイトがあって、ノベルゲームがやれます。楽しげな「e-learning」です。30分弱で遊べて楽しいのですが、ぼくにとっての一番の謎は、
菊池市ってどこ??

いちおしの英雄は、菊池武光というらしい。よく知らない……。
菊池武光が戦ったのが「筑後川の戦い」らしいんですけど、筑後川ってどこ??筑後川は福岡県久留米市らしいですけど、福岡の久留米市って、熊本の菊池市に近いの??
菊池一族は、蒙古襲来のときに菊池武房(武光の曾祖父)が戦ったとか、鎮西探題(鎌倉幕府の機関)を菊池武時(武光の父)が襲撃したとのことですが、熊本から福岡って近いの??

いや本当に。九州の方からしたら、何を言ってんだ?って次元のことだと思いますけど、愛知出身、大学は大阪、職場は愛知で、大学院は東京、と本州でこぢんまり生きてきた人間にとっては、全然分からない。
こういう「どしろうと」情報って、ぎゃくに現地の観光案内サイトや、現地の人は説明してくれないんですよね。

菊池武光を10秒で整理

菊池氏は24代の歴史がある。蒙古襲来の10代の菊池武房と、南朝方として戦った15代の菊池武光が、ハイライト的な英雄である。「全国菊池の会」のサイトから系図を拝借して抜粋します。
https://zenkoku-kikuchinokai.jp/

無題

10代の武房が蒙古と戦い、以後、鎌倉後期をすごす。

武房の曾孫の代に兄弟で相続されてており、ちょっとイビツだ。この時期が、南北朝時代の動乱。敵である北朝方に、本拠地の菊池本城(菊之城)を奪われたけれど、庶子(母親の身分が低い)15代の武光が立ち上がって、本拠地を奪還した。この菊池武光が、後醍醐天皇の子を頂き、筑後川で大きな戦いをやった。そこが物語のピーク。

なるほどー。e-learningの成果が出てますね(笑)

最低限の土地勘

後醍醐天皇の子は、懐良親王といい、海路から肥後の国の宇土に着いたらしい。さて、宇土ってどこ??というか、菊池氏は福岡に出て行って、鎌倉幕府や室町幕府の出先機関と戦っているけど、位置関係は??

無題2

こういう位置関係らしいです。菊池は、熊本市街の北東にあるんですね。
菊池から筑後川、太宰府に向かうには、どの経路を取るんだろう??
宇土というのは、熊本市外の南西ですか。

ほんとうに、九州圏のひとからしたら、「そこからかよ!!どんだけアホなのか」ってお叱りを受けそうですけど、この記事の内容は、1時間前まで知りませんでした。いいんです、解説に頼りまくれば。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?