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ぼくの遺産は文系学生の奨学金にして下さい

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしてます。
よく自己啓発本で、「想像してみましょう。自分の葬式では、どんな弔辞を言ってもらいたいですか?」ってのありますよね。

のんべんだらりんと生きてしまう、もしくは、やりたいことを先延ばしにし、目を背けてしまうのが、ひとの習い性。
自分の死という、自分史上最大のインパクトのあるイベントをイメージし、そこから遡って、いまの生き方を点検せよ、っていう教えだったと思います。noteというメディアは、悩みびと&読書びとが多いので、皆さん、ご存知のアドバイスだと思います。

それと同じ発想ですけど、遺言状、もしくは、流行りのエンディング・ノートを書いてみたらどうかなと。
ぼくはまだ、30代後半であり、自覚的に病気はないんですが、いつ死ぬか分からないのは、だれだって同じです。今週、年に1回の健康診断です。

ぼくは、天涯孤独ではありませんが、妻子がいないので、自分が死んだら、貯めたお金を移行させたい相手がいないんです。
いまは親が生きていますが、先が短いところに移しても仕方がないです。妹と甥姪はいますが、遺産を移す理由はとくに見あたらないんです。お金ですから、「もらえるものならもらう」という判断はあるでしょうが、おそらく、そんなに困っている様子はない(よく知らない)。親族の権利関係は、よく調べてないですが、あてにされてないでしょう(よく知らない)。

血縁的・族的な背景を持たない、寒門・寒族の出身である、というのが、ぼくの生まれた環境ですから、これが悲しいことだとは思いません。

かといって、よく分からず、国庫に吸い上げられてしまうくらいなら、
文学部とか、文学研究科の学生さんの奨学金にしてもらいたい、って思うんです。自分が死んじゃったら、使い道がないので。

上に書いたように、子供がいないので、自分で蓄えたお金は、「自分に対する教育費」として、再投資?している状態です。死んじゃったら、もう学問はできないので、だったら、べつのひとの教育費にして頂けたら、私財も浮かばれるというものです。

どの団体に、どういうかたちで寄付したら、おじゃまにならないか、有効活用されそうかを、今度会ったときに、大学の先生に聞いておこうと思います。ぼくの宿題とします。

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