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300万円ならば涼しい顔で失える/お金の器量と基準値

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしてます。

冨塚あすか『職業、お金持ち』を読んでます。
自分にとってのお金の基準値を知ろう。そして、現状の基準値を打ち破って大きくし、お金持ちになろう、という話がでてきます。

たとえば現状、感覚として1回の外食代で、6千円までが「アリ」と感じられるなら、それが基準値です。6千円までなら、ビクビクもドキドキもヒヤヒヤもしないとします。
その3倍の18千円/回の外食をすることで、器量が大きくなり、基準値が上がる。それ以後、もう6千円/回に戻すことがなければ、同じぐらいのお金(もしくはそれに準じるチャンスやメリット)が舞い込んでくる。

ぼくなりに言い換えるならば、3倍の流水量を誇る「お金」の川に移り、激流に身を浸すようなもの。大量に入り、大量に出て行く。理屈としては分かります。住む世界が、文字どおり変わるんでしょうね。

本のなかで、外食は6千円/回、服は1万円/着が、20代女性の基準値として出ていましたが、ぼくは食にも衣にも興味がないので、高く感じます。外食は1千円/回、服は2千円/着が、さらっと支払える金額です。べつのところ(書籍代)では、レートが違いますが。
金額はあくまでサンプルなので、数字自体に、たいした意味はないはず。

それから同書によると、
お金持ちは、損失やサギ被害について執着しないと。損失を気に病むぐらいだったら、それと同じ金額をさっさと稼いだほうが早い。詐欺師を怨み、追い詰め、とっちめるよりも、数倍をべつに稼いだほうが早いのだとか。

サギのことは保留したいですけど、損失のことは分かります。

「お金を使うと、器量が大きくなる」「使ったことがある金額によって、器量が決まる」そして、「失ってもアッケラカンとしていられる」「損失を気に病まない」「すぐに取り返せると思える」という、本の内容を見ていて、ぼくにとって、資産残高「300万円」が、すずしい顔をして失うことができる金額だな、と思いました。

親にこんなことを表明したら、「お金を粗末にするんじゃない」とか「それならば、私たちにくれ」「ぎゃくに、オレたちが貰わなければならない」とか言われそうですけど(実際に言われたことありますけど)、
このことから分かるように、
お金というのは生まれや才能と関係なく、たんなるスキルであり、後天的に器量を大きく作り変えられる。上記の本の教えは、そこそこ当たっているのだな、と思います。

300万円を吹っ飛ばせると思う理由

300万円というのは、いくつか心当たりがあって、

1年間、おとなしく会社に勤めていれば、節約も運用もしなくても、手元に残るお金でしたが、ぼくは、気分よくそれを手放しました。反対に、1年間、大人しくしておけば、回復できる金額水準だと知ってます。1年なんて、ほんとに、すぐですからね。

② 金融のトレードを始め、ビギナーズラックが途切れた直後、いきなり吹っ飛ばしたお金が、250万円ぐらいだった(のちに取り返しましたが……。界隈では、「生涯収支のプラ転」といいます笑)

③ 2020年2月から、正史『晋書』翻訳プロジェクトをやってまして、クラウド・ファンディングに近いことに挑戦。もしも1円も支援が集まらず、全額自腹になった場合に、280万円ぐらいの出費が見込まれた(今のところ、集まったお金は 143万円ぐらい)

翻訳プロジェクトは、自分が「親方」なので、目標金額は、140万円にも、420万円にも設定できたわけですが、ドキドキすることなく、スンナリと280万円に決まりました。420万円に設定してお金を回しても、成功確率があまり上がらないという「読み」もあったのですが、約300万円というのが、「遊び」の金額としては、いちばん馴染みました。

300万円ならば、気が向いたら、「よーし」って半笑いでつぎ込めるんですけど、500万円だとちょっと身構える。1000万円だとドキドキする。3000万円は、まだ御免被る。5000万円は、キャパオーバー。現状、ぼくの器量はこれくらいのレベルです。必要に応じて、押し広げます。

ただし、上記の本の教えに反しますが、
ぼくには体が1つしかないので、日常的に使いたいお金、楽しく使えるお金には上限があります。
たとえば、年間100万円分の本を買って、きっちり読むのは、ぼくには難しい。ひろい書庫のある部屋には住みたいが、そこそこでいい。
このあたり、「だからお前は貧乏なんだ」と言われたら、返す言葉もないですけど、お金を媒介にして得たい感情は明らかなので、ボチボチにしておこうと思ったりもします。提灯を持てなくてすみません。

関連記事はこれです。同じ『職業、お金持ち。』の感想を含んでます。

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