自分の嫌な癖は生きるために必要だった件
最近、月1でカウンセリングを受けるようにしました。
理由は「自己認知の歪み」があることに気がついたから。
自分はコミュニケーションがうまく取れないと思ってたけど、友達や妻に聞くとそんなことはなく、むしろ上手にできているらしい。
このように僕には「認知の歪み」が結構あることに最近気づき、プロのお力を借りて、ありのままの自分を肯定できるようになろうとカウンセリングを受けることにしたんです。
一回目での気づきは「自分の嫌な癖は生きるために必要だった」ということだった。
僕は親の感情が不安定で自分の意見を言ったり、親がいったことと違うことをすると、暴言や体罰を受けてたので、自分を守るためにいつしか「他人の顔色を伺って過ごす」ことが習慣になってました。
他人の顔色を伺って過ごすことはとても疲れるし、できることならやめて、気楽に過ごしたいのが理想ではある。
そんな自分の癖が嫌いだったが、カウンセラーの方から「自分が生きているのもその癖があったからじゃないですか」と言われたとき、とても心が軽くなった感覚と体が暖かくなる感覚があり、とても心地よかった。
いままで、嫌だなと思ってた癖も自分が生きていくためには必要だったと思ったことはなかった。
たしかに他人の顔色を伺うことで暴力を受けることは少なくなったし、過度にいじめにあうこともなかった。
自分を守るために必要だったんだと思ったらほっとしたのと同時に「もう手放してもいいのかも」とも思えた。
今は自分で付き合う人を選ぶことができるし、ポンコツな僕でも許してくれる人との人間関係を大事にしたいから、そもそも他人の顔色を伺うことを少なくしてもいいのかもしれないと感じた。
許しを与えると次のステージに進める気がするけど、一気に顔色を伺うことを辞める必要もない。
少しずつ、ありのままの自分で付き合えるような人を増やしていき、自分も心開いて人付き合いできるようになっていきます。
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