『なぜスマホを見続けてしまうのか』 〜 エクスカリパーを求めて

ルール

  • 自分の言葉で書くこと

    • 記事を書いているときに何も調べてはいけない

    • 外部の情報を引用してはならない

  • 賢いふりをしない

    • 書いた後に大幅に修正しない

    • 誤字脱字の修正はOK

  • 従って事実と異なることが書いてあります。創作としてお楽しみください。

スマホ依存症

電車に乗るとすぐ、鞄からワイヤレスイヤホンを取り出し、音楽を鳴らす。
そしてGoogleのフィードや、Newsアプリ、twitterなんかを縦にスクロールして、気になるものがあったらタップして読む。読み終わったらまた戻って縦にスクロールする。
それが僕が独りで出勤、退勤するときの電車の中でのルーティンだ。「スマホを見る」という動作は電車で移動するようになってから全く変わらない。

他の選択肢

  • 本を読む

  • ぼーっと外の景色を眺める

  • 新聞を読む

  • 瞑想する

スマホを触らずにできることは色々ありそうだ。
しかし本を読むとなると、立ちながらとか混み合っている中だとなかなか辛いものがある。
しかしぼーっと景色を眺めるにも、地下鉄なのでずっと黒いものをみるだけだ。
しかし新聞を読むにしても、読書と問題点は同じだ。
しかし瞑想するにしても。。。雑音があってできない。
本当にスマホを触ることが合理的なのだろうか。何も見ずに思いにふけることは出来るのではないか。

考え事をする時間

そういえばただ考え事をする時間は日常の中にあるのだろうか。この文章を書く以外だと、街を歩いているとき、シャワーを浴びるとき、ベッドで眠りにつくまで、意外とあるな。
考え事をする時間がないから電車の中ではせめて考え事をした方がいい、という結論にもっていきたかったが、どうやら僕の中では十分にその時間があるようだ。

電車の中だからできること

そうなると電車の移動時間にスマホをみるのは意外と合理的なのかもしれない。
歩いていない(歩きスマホは危ない)し、他のことをしようにも上述することはできない。スマホをみるか考え事をするかしか出来ないのではないか。この状態はスマホに依存していると言えるのだろうか。スマホを触らずにはいられないというより、スマホを触る以外のことがなさすぎる。「暇恐怖症」「なにかしないと気が済まない」のほうが正しい気がする。

暇恐怖症

少し考えが進んだ気がする。僕はなにもしないことに耐えられなくなっているのではないか。
それは悪いことなのかは分からない。でも何もしないことに意味はあるはずだ。
何もしないといっても、全く変化しないわけではなくて、意識はあるし、生命維持活動は続いている。無とは一体…

まとめ

エクスカリパーを求めて…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?