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迷い犬コタロウとの日々

12月3日は愛犬コタロウの命日です。もう5年も前のことになりましたが、今でも私にとって、最愛の犬です。迷い犬だったコタロウを家族に迎え、見送るまでの4年間のこと。少し長いけど、残しておきたくて綴ります。犬を飼っている人へ。これから犬を家族に迎える人へ。動物と暮らす人へ。ご自身と愛犬に重ねて読んでいただけたら嬉しいです。

初めて犬を家族に迎えたこと


もともとは猫好きでした。18歳のときに実家にやってきた元気な中型犬雑種アトムのおかげで、犬中心の暮らしになりました。アトムが成犬になってからのこと。父の勤続周年祝いで、家族全員で旅行することになり、アトムを祖母宅に預けたことがありました。旅行中、母は祖母に電話して、寂しそうな声で鳴いているアトムの様子を聞いては泣いていました。

帰宅して迎えに行ったら、アトムはちぎれんばかり尻尾を振り、耳を寝かせ、目を細めて大喜び。それを見てまた泣く母。みんなでアトムとの再会を喜ぶ私たちの姿に祖母は、「あんたたち、私に目もくれず犬ばっかり!」と笑ってあきれていたほどでした。病気ひとつせず、17歳まで生き抜いた、元気な犬でした。

喜んでいるときのアトム。耳は下がり、目はピエロのようになり、尻尾はプロペラのように振り回します。真っ黒なマズルが雑種らしくて好きでした。


アトムが亡くなったのが2012年7月。アトムを看取った母の喪失感は大きく、自身でも「ペットロス」を感じていたと思います。
母はアトムが元気なうちらか、「もしまた犬を家族に迎えるなら、保護犬がいい」と言っていました。

一方で、私はそこまで犬に愛情をかたむけるほどでもなく、気が向いたときに散歩し、かわいがる程度でした。

コタロウとの出会い

今ほど動物愛護が進んでいなかった頃。地域の野良犬、迷い犬、野良猫、飼えなくなった犬猫は役所に連れてこられていました。愛護センターと呼ばれる施設に回収され、その後は場合によっては殺処分という悲しい末路をたどることになります。

アトムが亡くなって1ヶ月も経っていない2012年8月6日。ちょうど、その「回収」と呼ばれる日。これから愛護センターへ運ばれる犬に出会いました。人への警戒心はなさそうで、見た目は柴犬。首輪を付けています。リードを握っているのは警察官でした。

その警察官に聞くと、迷い犬として警察に連れてこられ数日保護していたが、飼い主が見つからないので愛護センターへ渡す、というのです。

8月6日。広島で、この日にこの子と出会ったことは、何か運命のような気がしたのです。すぐ母に電話をかけました。

「迷い犬がいる。柴犬くらいの大きさ、オス。これから愛護センターへ連れて行かれるけど、どうする?引き取る?」

母は、引き取ると即答しました。

名前は即決


引き取りに来た母は、出会う前のその犬の名前を既に決めていました。その名前は「コタロウ」。コタロウは車に乗ることも慣れていた様子で、母の車にスルっと乗り込みました。

出会った日のコタロウ。母の車にすんなり乗りました。


飼い主探し


家に連れて帰ったとはいえ、もしかしたら飼い主が現れるかもしれない。私たちは、一旦警察に届け出ることにしました。犬は遺失物と同じ扱いになるそうで、1年後に飼い主が現れなかったら、正式に私たちの家族になります。

そこから、コタロウの家族探しが始まりました。この子を家族に迎えたいけど、探している家族がいるなら、返してあげたい。コタロウもそのほうが嬉しいかもしれないから。

SNSに投稿したり、新聞の「迷い犬」欄に投稿したり。すると、1人の高齢者男性が「うちの犬かもしれない」と尋ねてこられました。ドキドキしたけど、どうも犬違いだったようで、男性は寂しそうに帰って行かれました。

来て間もないコタロウ。新聞に載せた写真。


私たち家族は、残念だった気持ちよりも、ホッとしたのを覚えています。コタロウを私たちの家族に迎えたい。その気持ちが日に日に増していたのだと思います。

そして、1年後の8月6日。正式に市へ飼い犬の届け出をし、晴れてコタロウは私たちの家族になりました。

おっとりコタロウ


コタロウはとてもおっとりとした子でした。無駄吠えをせず、ご飯はよく食べ、寂しそうに鳴くこともありません。おでこを撫でるときは、目を閉じ首をすくめて、少しおびえる様子を見せることもありました。でも、触られること自体は慣れているようで、人に吠えたり噛みついたりすることは一切なく、おだやかな子でした。

先代犬アトムは、感情表現が豊かで、嬉しい時、不満な時、はしゃいでいる時、全部、全身で表現するのでよく分かりましたが、コタロウは、おだやかだけど喜怒哀楽はよく分かりませんでした。

おやつをもらう時は、目を輝かせます。この時が一番表情が豊か。


この子にどんな過去があったのか、知るすべはありません。捨てられたのかもしれないし、すごく可愛がられていたのかもしれない。どちらにしても、私たちが可愛がって大切にして、これからのコタロウの犬生を楽しいものにしてあげたい。人間と暮らして楽しかったな、って思ってもらいたい。私はコタロウに夢中になっていきました。

保護犬を迎えるということ

子犬を飼うと、ぬいぐるみのような、愛くるしい時代を一緒に過ごすことができます。成犬の保護犬は、そういう、ひたすら可愛い時期を愛でる喜びというのはありません。

だけど、日々少しずつ、少しずつ、心を開いてくれるのが分かります。

帰宅して声をかけると、顔を上げるようになりました。私のことを覚えたんだな。

名前を呼ぶと、振り返るようになりました。「コタロウ」が自分の名前だと理解したんだな。

そうやって、ゆっくり、コタロウがどんな子なのか探りながら、時間を重ねていきました。

私はコタロウを溺愛しました。反応が少なくても、うっとうしがられても。「愛されている」というのを実感してほしかったのです。

コタロウは、母のいる、私の実家に暮らしています。私は少し離れた場所に住んでいたので、帰宅するときは、誰の目も気にせず、コタロウを猫可愛がり(犬可愛がり?)しました。

コタコタ!帰ったよ!コタ!かわいいね、コタちゃん、かわいいね!嬉しいね!

と、1オクターブ高い声でコタを呼び、撫でまわし、コタロウが鬱陶しがるほどに、帰宅するたびに会えた喜びをぶつけました。

数カ月後、私の帰宅を庭で待つようになりました。

半年後、私を見つけると「キャン!」と高い声で吠えるようになりました。

1年後、私の帰宅に、耳を下げて尻尾を振って、吠えて回りながら喜ぶようになりました。

笑顔のコタロウ。優しい目でしょ。


その変化が嬉しくて、私はコタロウを溺愛しました。コタロウにとっても私が大切な存在になっていくのが分かったし、私にとっても、これほど愛情を注いだ存在は、初めてだったのです

坂の上から家族の帰りを待つコタロウ。


コタロウとの楽しい日々


コタロウは、おもしろい子でした。

おやつ・ごはん大好き
柿が好き(秋には落ちてたら拾って食べる)
柿の食べすぎでお腹を壊す
散歩中に見つけたものを咥える
ヘビやカエルなど動物を捕まえる
カメをつかまえたことも

道端で柿を見つけたコタロウ。放しません。
柿の食べすぎか、カエルの食べすぎでお腹を壊して撃沈。かわいそうだけど可笑しかった。
!!! この後ちゃんと放してあげました。


そして

人に吠えない
怒らない
子どもに優しい(何をされてもじっと我慢)
他のワンコにガウガウされたら引き下がる

という優しい子でした。

子どもを優しく見守ってくれていました。
ドッグランにて。コタのご飯なのに、他の子にガウガウされてチーンとなっているコタロウ(笑)

また、ドライブが大好きで、車に乗っていろいろなところに行きました。あまり長距離は負担になるので、住んでいる市内だけ。

季節ごとに、花や自然を撮影するときの相棒になってくれました。
母の車に乗り、嬉しそうなコタロウ。
大好きなカメラマンさんに撮ってもらった写真。宝物。


外飼いの理由

コタロウの家は、庭にある「離れ」の中にありました。長めのリードでつないでいて、離れにはスライドドアがあり、そこから自由に外に出る事もできて、寒いときは中に入れるようにしていました。夜は母屋の土間に連れて帰り、暖かくして眠っていました。

そんな、中と外の半々生活でしたが、コタロウの様子を見ていると、外にいるときのほうが断然、イキイキしていました。日中はほぼ、外で過ごしていましたし、自然に触れることを楽しんでいるようでした。

犬を外で飼うということについて、いろいろな意見をいただくことがありました。寒くない?大丈夫?服を着せてあげたら?など、いろいろ。

春には目覚める虫や動物を追いかけ
夏には木陰に穴を掘って土の冷たさを感じ
秋には吠えてイノシシを追い払い
冬には散歩しながら雪を食べる

コタロウは母屋に帰るのさえ嫌がるときもあるほど、外が好き。そんなコタロウの喜びを尊重した、中と外のハイブリッド生活を選びました。もちろん、家の中で一緒に過ごしてみたいと思ったこともありましたし、中飼いされることの喜びもまた、素敵なものだと思っています。我が家では、コタの楽しそうな姿を優先させた結果でした。

コタロウの夏の指定席。


ハプニング

前述のように、我が家は自然豊かな場所にあるため、裏山にはイノシシや鹿、タヌキが出没します。トカゲやカエルも身近にいます。そんな場所でしたので、それらを見つけては野生が目覚めるのか、コタロウは元気に吠えたり追いかけたりします。

ヘビを見つけてしとめるのも得意。もしかして、迷い犬時代、そうやって生きていっていたのかもしれません。しかも、市販のドッグフードよりも、それらを食べるときのイキイキとした目。やめさせたいと思いながらも、自然のままにしていました。

ある年のゴールデンウィークでした。いつものように庭先で遊んでいたコタロウが、なんだかが元気がない。目を閉じ、じっとしていたのです。

お腹が痛いときみたいな表情。

そして、マズルがみるみる膨らんでいったのです。どうやら、ヘビを退治しようとして、反撃に遭ったようなのです。

ヘビに噛まれてしょんぼりコタロウ。すぐ病院へ。車の中でも哀愁漂う後ろ頭。

すぐに病院へ連れて行きました。処置をしていただいて、帰りの車内ではすっかり元気になっていました。元気になってくれたので、やっぱり病院に行ってよかったです。何事もなくて、よかった。

犬種と年齢


コタロウは、柴犬に似ているけど柴犬に比べて、耳が小さく、マズルも短めでした。この、小さい耳と、冬毛でふくふくになるひし形の顔、丸めのマズルがとてもかわいい子でした。

ドッグカフェにて。視線の先は、おやつ。

柴犬であるかどうかは私には重要なことではなく、コタロウの個性がとても好きでした。

我が家に来てすぐ、動物病院で検査をしてもらいました。当時は6歳くらいだろうと言われていました。しかし実際は、8歳くらいだったのでは、と思っています。検査で、心臓が少し弱いこと、フィラリアにかかっていることがわかりました。

我が家では、外飼いで17年、病気ひとつせずフィラリアにもかからなかった、元気な先代犬アトムとの暮らししか経験がありません。コタロウがどのくらい生きるのか、病気はどう治療したらいいのか、分かりません。お医者さんと相談して、治療で体に負担をかけず、薬を服用し、経過観察することになりました。

おじいちゃん犬

コタロウとの暮らしが4年目を迎える頃には、元気なコタロウも、だんだんと茶色い毛が白っぽくなり、鼻の頭の毛が抜けて地肌の黒が見えることもありました。当時はおそらく、12歳くらいだったのだと思います。

散歩の距離は短くなり、時々つれていったドッグランでは、疲れたのか、テラスの床下に入って休み、出てこなくなりました。

テラスの床下に潜り込んで休むコタロウ。

最後の夜

2016年の秋。体力はなくなっても、これからまだまだ、コタロウとの愛しい日々が続くと思っていました。私は出張が重なり、ほとんど実家に帰れない月が続いていました。やっと久しぶりに実家に帰れた12月はじめの金曜日の夜。

遅くに自宅に着くと、いつものように坂の上でコタロウが待っていてくれました。寒くて空気が澄んでいて、星が綺麗に見えたのを覚えています。いつものように、コタロウをかわいがったのですが、なんだかいつもより元気がないと思ったのです。

私は少しの間、コタロウと過ごしました。触られるのは大丈夫でも、抱っこされたり、長く抱きしめられるのは苦手なコタロウ。そこはツンデレな柴犬の気質がよく表れていました。

その日はなぜか、どんなに抱きしめても、逃げず、じっとしていました。私の体温が温かかったのでしょうか。しばらく、二人でくっついていました。その夜、私はそのときのことを記録しておこうと、イラストを描いたのです。

いつもは逃げるのに、この日はじっと、身を委ねてくれました。


別れ


あくる日の早朝。コタロウの声が聞こえました。

「キャンキャン!」

散歩に連れて行ってほしいのかな。今日も寒いな…と思ってうつらうつらしていたところへ、コタロウの様子を見に行った母から、突然、思ってもない言葉が飛びこんできました。

「コタが死んだ!」

と叫ぶ母。飛び起きて庭へ向かいます。コタロウは庭に横たわっていました。心臓が弱っていたことが進行し、突然のことでした。昨夜、黙って私に抱きしめられていたのは、本当にしんどかったからなんだ。だから逃げなかったのか。そして、最期の力をふりしぼって、私たちに知らせるために、吠えたんだ。

寝ているだけのようなコタロウ。まだ温かい体を撫でながら、これからまだまだ一緒に過ごして、おじいちゃんになっても、ヨロヨロになっても、ゆっくり時間を重ねて行って、最期は家族で見送るものだと思っていました。

コタロウをひとりで逝かせてしまった。
どうして夜じゅう一緒にいてあげなかったのだろう。
最後に呼んでくれたのに、撫でてあげられなかった。
寂しかったよね、私たちの顔が見たかったよね。

後悔しかありません。私たちはコタロウを毛布に包み、いつまでも体を撫でていました。

その後は1ヶ月、泣いて暮らしました。仕事をしていても涙があふれて、周りの人が慰めてくれたりもしました。

コタロウ、本当にかわいかったよね

と、母と思い出話をするのが唯一の慰めでした。前述のようなハプニングや面白いエピソードを思い出しては、母と泣き笑いをしたのでした。何度も何度も、これまで撮影してきたコタロウの写真や動画を繰り返し見て過ごしました。

インスタグラムでは、広島弁にのせて、コタロウのことを発信していました。(現在非公開)

忙しさを理由に実家に帰らなかったこと。仕事を優先させて、大切な存在に時間を注がなかったこと。一緒に過ごせる時間は短いと頭で分かっていたのに、それが今この冬にやってくるなんて。本当に後悔でした。その頃から、私は「働き方」について考えるようになりました。

犬がおしえてくれる愛

コタロウは、私に「愛することの喜び」を教えてくれました。コタロウが私に心を開いてくれた過程が嬉しかった。愛されることも幸せだけど、愛する幸せっていうのは、コタロウに出会って知りました。

あぁ、私、コタロウを全力でかわいがったんだな。こんなに無心でかわいがれる存在がいて、そういう気持ちが自分の中にもあったんだな。

と、気付かせてくれました。同時に逆のことにも気づかされます。世話をしたり、散歩したり、遊んだり、どうしても人間主導の行動が多いため、「人間が犬を可愛がってあげた」と思いがちだけど、本当は違って

無償の愛情をぶつけてくれる存在

でした。コタロウは、そして犬は、私たちに、その存在をもって愛を教えてくれる天使です。恨みも怒りも傲慢もなく、ただその瞬間、瞬間に、私たちを愛してくれて、まっすぐ見つめてくれます。保護犬を救った気でいたけど、救われたのは、私たち人間の方でした。

何年たっても、私の大切な愛しい犬。最期のときを思い出すと、今でもまだ胸が痛むし、後悔は消えません。もう会えないけれど、今でもまだ、「また会いたい」と思わずにはいられません。

コタロウが亡くなって、翌春、我が家にやってきたのは柴犬の「すず」でした。すずも、成犬で我が家にやってきた子です。すずとの出会いも、ご縁でした。この話はまたいつか。

長文をお読みいただき、ありがとうございました。あなたと、あなたの愛犬の暮らしが、いつまでも続きますように。楽しい日々が、ずっと続きますように。

コタロウとすずが出会ったときの貴重な一枚。まさか、この後すずがうちの子になるとは。

お知らせ

最後に、今回コタロウのことを綴ろうと思ったのは、今コラム寄稿させていただいている、LAPUAN KANKURIT表参道さんのnoteで、フィンランドで出会った犬たちのことを綴ったことがきっかけでした。

よかったらこちらも、読んでみてください。

コタロウのほかに、保護した犬たちのことも綴っています。マガジン「犬と暮らす」も合わせてどうぞ。

















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ペットとの暮らし

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