見出し画像

期間工をやめて思ったこと

2015年に家を出なければいけなくなり、その時は所持金もなかったので直ぐに仕事に就けて寮が付いている期間工を選びました。それから5年半続けた期間工の暮らしがある日突然終わりました。

今は失業して新しい街に引っ越してそこで部屋を借り、毎日好きなことをして暮らしています。

画像1

(日中でも陽がさすことがない窓。刑務所と揶揄されても仕方の無い生活の質でした。写真はすべて愛知県の会社の寮です。)


期間工として埼玉県で3年、愛知県で2年過ごしました。

同じ期間工でも埼玉と愛知とでは大きく違いました。

埼玉での仕事は体がきつくて大変でした。それまで10年以上東京で専業主夫をしていたこともあり、慣れるまで1年半かかりました。

でも気付けばいつの間にかリーダー的な仕事も任されるようになり、周りに慕ってくれる先輩や後輩たちができました。任期満了で辞める時には会社の班で送別会まで開いてくれました。仲の良かった人たちとは今でもたまに連絡を取り合っています。

愛知は全くの別世界でした。期間工は全員男性限定。仕事が大変だったことは共通ですが、愛知での期間工は皆消耗品のモノのような扱いでした。

会社が悪いとか正社員が悪いとか言いたいのでは無く、むしろ愛知の人は大好きになりました。ただ仕事がそういう仕組みだったのです。

また期間工が200人ほど住む寮では、入社した一週間後にはふたつとなりの部屋に警察のガサ入れが入ったり、けんかや盗みで逮捕者が出ることもたびたびありました。

夜中に叫び声とともに部屋の扉を蹴破られそうになったり、いつも共同トイレで長居する迷惑な酔っ払いが翌朝に死亡しているのが見つかったり、小さな事件は日常茶飯事でしたが僕がトラブルの当事者にならずに済んだのは幸いでした。


画像2

(三畳半の暮らしも慣れてしまえばそれなりに快適でした。)

期間工とは、僕の知る限りになりたくてなったと言う人は1人も知りません。その目的のほとんどがお金のためです。まれに大手自動車会社の社員登用を目指す元フリーターやニートの若者がいました。

僕を含め期間工が日々の生活に文句を言いながらも辞めずに留まる理由はその環境に馴染んでいるからでした。

実際、何事も無ければ次の仕事も期間工を続けようと考えていたくらいです。

要するに、そこでの仕事にしがみつてさえいればそれ以上落ちることはないということです。生かさず殺さず責任から逃れ、何も考えずに生きて行ける楽さがありました。

しかし結果的には会社の業績不振で期間工は皆解雇されてしましました。


画像3

まあそんなものでしょう。今思えば懐かしい思い出です。

思えば十代の頃から負け組と呼ばれるような人たちの群れの中で過ごして来ました。結局は劣等感や自己肯定感の低い人たちと一緒に居ると僕の気持ちは安心するのだと思います。

だから居心地が良かったのかも知れません。

今僕がそこから脱出できたなんて思っていません。ただ放り出されただけです。

先日求職活動でハローワークに行って職業相談というものを受けてきました。僕の職歴を見て職員の方がパソコンでパチパチと求人案内をプリントしてくれました。

「自動車の工場は今はどこもキビしいからこんなのはどうですか?」と三つ見せてくれた求人はゴミと産業廃棄物の回収業者でした。一日働くと不快手当がつくということを初めて知りました。

「ゴミは無くなることがないからいつでも募集してるよ、はっはっ」と職員の方が言っていたのが印象的でした。

「まだ少し考えさせて下さい」と言って僕は去って来ました。もう少しこの自由な時間を楽しみたいという気持ちもありました。

残された人生の時間はそう長くはないのだからと思い

帰りに図書館に寄って外国の絵本とルノワールの画集を見てきました。


おわり

mons


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?