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倫敦1988-1989 〈9〉家なき子

大晦日に家を追い出されるなんて最悪である。大家のルカクはそれまではやたら調子良く、家具はそのまま使っていいよとか、好きにリフォームしていいよ、とかMちゃんとの関係も良好だった。家賃もきちんと払っていたし、何でまた急に…とポカンとした。

どうやらルカクはチェコスロバキアの人で、母国で何かが起こったらしく、親類が移住してくるので家を空けてほしいようだ。チェコスロバキアという国は複雑な国でかつてはヒトラーに占領されたり、ソ連に侵攻されたり、めまぐるしい歴史をたどっている。もともと別の国だったチェコとスロバキアが合併し、また分裂しつつある。ルカクの一族は国にいづらくなるような立場だったらしい。

精一杯文句を言うが、ルカクの一族はチェコスロバキアにいると命が危ないとまでいうのでさすがに諦めてマイロの家へ行く。エディとマイロはスリ事件で腐りきっていたが、Mちゃんがルカクから家賃1ヶ月分返還されたと知って色めき立つ。おまえらの金じゃない💢と怒るMちゃん、その足下に縋りついてナイトクラブに連れていっておくれよぅ〜と懇願する2人。どこの国にもクズはいる。あまりにもクズすぎて笑えてきた。

タクシーでピカデリーサーカスに乗り付けた時には、あたりはもう人でいっぱいだった。移動遊園地がまだいたので観覧車に乗る。この観覧車は小さいので油断するが回転速度が異様に速い。雑な感じのカゴがゆらゆら揺れて思ったよりも8倍ぐらい怖い。考えてみればどの遊具も「ただそこに置いただけ」という感じで安全性はすこぶる疑問だ。スリルは爆上がりだけど。

もう少し安全なものはないか…と探したところ「びしょ濡れのカエルをシーソーに載せ、シーソーの反対側をハンマーで叩いてカエルを的に当てる」という何が面白いのかよくわからないゲームを見つけた。カエルは本物ではないただのグッタリした人形で、こんなもん当たるに決まっている。ゲーセンの国から来た私を舐めないでいただきたい。

池からビショビショのカエルを掬い上げ、良き位置からカーンと一発!命中である。凄いな中国人!凄いな香港の人!と誉められながら景品をもらう。特大のクマ。これ持って帰るの?
ととまどいながらも抱き上げる。可愛いので「コロ」と名付け、共にクラブのエントランスをくぐった。

クラブ内も人で溢れ、みんながコロを触りたがる。コロがモッシュのように遠くに運ばれていくが、そのうち自然に帰ってきた。踊るスペースもないほど混み合う中、カウントダウンが始まるが、私はコロに視界を塞がれて状況がわからない。耳からの情報を頼りに「3、2、1、ハッピーニューイヤー!」と叫ぶ。いろんな人がハグしてくるが、たぶん目的はコロだ。

あまりにも混雑がすごいので、違うクラブに行こうと外へ出て歩き出す。私はコロがずっしり重くて弱りはじめた。ロンドンの霧をコロが惜しみなく吸い込んでいるのだ。「そんなもん捨てちまえ!」とエディに言われるが「アンタにあたしとコロちゃんの何がわかるのよ!」と口答えする。私にもわからない。さっき出会ったばかりだ。

1989年か…。今年は地元で横浜博がある。仕事でガッツリ関係しているので帰ったら忙しいこと請け合いだ。めんどくせ…。コロおも…。と新年早々憂鬱になってしまった。何とか帰らないで済む方法は無いだろうか。どこかの王子に見そめられるとか。毎回、旅先で考えることだ。まだ一度も見そめられたことはない。
           (つづき)


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