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モンテーニュに学ぶ異性との関わり方

これまでそこまでたくさんの本を読んできたわけではないけれども、これはいいと思った本は何度も読み返したりもした。たとえば、ミシェル・ド・モンテーニュの「エセー 全7巻」(白水社)を、これまでに二度読み通した。

このフランス近世の賢者は、心に染みわたる箴言の数々が印象的なのだけれども、また女性に対して不信感を感じさせる文面もけっこう見受けられる。

本当のところ、女性の一般的な能力は、聖なる結びつきをはぐくむところの、友情という関係や付き合いに応えられるものとはいえない。その精神は、これほど親密にして、持続的で、ぎゅっとしまった絆を支えられるほどにしっかりしているとは思えないのだ。
 「エセー2」

わたしの魂はなお尋ね求めて見いださなかった。千人に一人という男はいたが、千人に一人として、良い女は見いださなかった。(コヘレトの言葉より)
 「エセー」

わたしにとっては、もっとも単純で自然な匂いこそ、もっとも心地よい。こうした気配りは、とりわけ女性にあてはまる。
「エセー 2」

古代ガリア人は、二十歳になる前に女性と関係することを、この上なく非難すべきものだとみなし、とりわけ、戦争のための訓練を受けようとする者は、成人後もずっと童貞を守るべきことを勧めていました。女性と交わることで、気力がくじけ、気持ちが脇にそれてしまうというのです。
 「エセー 3」

さまざまな欲望が存在するが、飲み食いのように、自然かつ必要なものもあれば、女性との交わりのように、自然ではあっても必要とはいえないものもあるし、また自然でもなく、必要でもないものもある。人間のほとんどすべての欲望は、この最後の種類に属していて、いずれも余分で人為的なものにすぎない。
 「エセー 4」

もしもよい結婚があるとすれば、それら恋愛という状態が伴うことを拒み、むしろ友愛という状態を模倣しようと努めるはずだ。結婚とは、変わらぬ愛と、信頼と、有益にして堅実なる、数限りない奉仕と、おたがいの義務といったものに満ちあふれた、穏やかな人生共同体なのである。
 「エセー 6」

男からしたら、女性はまったく別の種類の人間だ。たぶん、女性のほうも男性のことを同じように感じているだろう。それは体のつくりが違うというだけでなく、メンタリティや価値観がそもそも違う。
 わたしは自衛隊という男社会から、看護や介護といった女の社会に飛び込んだ。その間、いろいろなことを思ったり感じたりしてきた。振り返れば、よく3年間ものあいだ、男にとって半端なく居心地のわるい看護学校を乗り越えてきたなと今さらのように思う。

そういえば、わたしは現在アラフォーなのだが、女性と付き合った経験がない。せいぜいデートどまりだ。
 かつて、「このままなにもしなければ、後で年を取ったときに後悔するかもしれない」と思って、何度か婚活パーティーに出たことがある。お寺で婚活するやつとか、エクシオジャパンという団体が主催しているやつだ。
 しかし、結果は散々たるものだった。数分おきに席を変えて、見知らぬ女性とおしゃべりして、また席を変えて…こういったことの繰り返しに、神経がへとへとに疲れたものだった。たぶん、出席した人たちはみんな居心地の悪さを感じていたことだろう、とくに男性は。
 こんなんで出会いが成立したら奇跡だろう。運良くマッチングして、後日会う約束をしても、土壇場になってキャンセルされたこともあった。
 いまはマッチングアプリとか呼ばれている、かつての出会い系サイトなども何回も使ったことがある。そういうのも結局、成功するのは自己PRにすぐれた一部の高スペック男子だけ、という印象です。ふつうの男子にはネット上の出会いは難しい。

こうしたこともあり、コロナ禍に入ったこともあり、いつのまにか婚活とかいうものをやめた。だから、一生を独りで生きていくつもりだし、そのほうが自分には合っているような気がする。そういう天命なのだろう。
 男として、当然性欲はあるけれども、結婚願望はあまりない。べつに家庭を持ちたいとは思わなかった。身軽に生きることがわたしの信条である。家庭をもてばそれだけ束縛され、“身重”になってしまう。もっとも内気で引っ込み思案な性分なので、自分からいろいろな機会をみすみす逃してきたのかもしれない。
 モンテーニュによれば、女性とのいい関係とは“恋愛”であるよりもむしろ、“友愛”であるのだという。もしそういう相手とめぐり逢うなら、それもまたいい人生なのだろうなと思う。

街なかで若い女性を見かけると、時にはいらいらさせられることがある。歩きながらスマホは定番。一体なにをそんなに熱心にスマホいじってんの? と思います。電車のなかでは、充満する香水の匂いのキツさ。ときには、高慢で尊大な印象をうけることさえある。
 異性という自分によってよくわからないもの、よく知らない存在は、それをむりに理解しようとするよりも、そういうものだと思って距離をとるのが正しい態度なのかもしれない。


 




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