わたしの学歴観、教育観
わたしの教育歴をふりかえると、中学くらいまではそこそこお勉強はできた。高校からは落ちこぼれて、理系科目はちんぷんかんぷんで理解できず、かといって文系科目もろくにできなかった覚えがある。理数科にいたにもかかわらず、大学は当然のように私立の文系にすすんだ。
当時から感じていて今でも思うのは、自分は大学なんか行かなくてよかったなということ。自衛隊に入ろうと決めていたから、大学を中退して入隊しようとしたが、親に反対され自衛隊の広報官にも説得されて、卒業までいたことを思い出す。
わたしの考えでは、大学は本来一握りのエリートが行くもので、だいたい人口の1〜2割程度がいけば十分だと考えている。残りの大半はどうするかというと、大学ではなく職業教育・職業訓練をうけるべきだと思う。この考え方はヨーロッパの社会において一般的なようである。
教育で大事なことはたぶん、それぞれが身の丈にあった教育を受けることであって、みんながみんな“上”の学校にあこがれて目指すことではないはずだ。
日本の社会みたいに、みんながみんないい大学、いい企業を目指そうとすることが異常である。街を歩けば、いい大学に入るための進学塾、個別指導塾だらけだし、◯◯大学への合格者数が何人とか、いまだにそんな広告を出している。まったく下らないと切に思う。
もっと人間の生き方は多様な価値観に彩られていていいはずなのに、日本にいるとひとつの生き方、ひとつの人生を強要されるようなところが強い。基本的に、日本人の人生の理想形は依然として、すでに述べたようにいい大学に進学し、大企業に新卒で就職して、“定年”までそこにしがみつくことなのだろう。
また、わたしは学校教育というものを信用していない。教師が演壇から講義して、生徒は板書を写す、というのがその典型的な光景である。まず効率が悪いし、権威主義的な教育のあり方だと感じている。
授業中に、生徒を当てて答えを述べさせる、ということもよく行われているが、こういう授業の進め方は間違いでやってはいけないと思う。わたしは当てられるのが嫌で、しょっちゅうびくびくしていたことを思い出す。
学校教育はゴミだと思っているが、その代わりに本をよく読む。それも古典と呼ばれるような書物を重視する。
教育論の名著で、池田潔「自由と規律 イギリスの学校教育」はおすすめである。また、スコット・タロー「ハーヴァード・ロー・スクール わが試練の一年」も読み物として面白かったと記憶する。
フランスの思想家、ミシェル・モンテーニュの箴言もなかなか心に響くものがある。たとえば、著書で次のように述べており、全面的に共感できる。