Hiro

ときどき歌います。ときどき山に登ります。 アコースティックユニット"trio…

Hiro

ときどき歌います。ときどき山に登ります。 アコースティックユニット"trioto"歌担当 ■trioto https://www.youtube.com/channel/UCxLH94XkNIXUUN2qd4utEYg

最近の記事

音楽は言語の一種かもしれない

仲間と音楽をしているとき、言語ではない、音や感性の領域で理解し合う、通じ合う瞬間というのがあって(それがない相手とは、長く一緒にはできないわけだけど)、もしかしたら、「言語ではない」というよりは、音楽も言語なのかもしれない、ということを思った。だって、それを介して語り合えるもの。 かんぱちのアラを煮込んでた。 #音楽 #かんぱち

    • プランB

      養命酒を飲んだあと、これを書いている。 養命酒20mlでほろ酔い気分を味わえる、安上がりな肝臓の持ち主。 *** ここ半年ほどで、身内が立て続けに三人亡くなった。 そのうち二人はもう、96と97で、いわゆる老衰だったので、心の整理をつけるのはそう難しくはなかったし、ものすごく悲しい、というほどの感情はなかった。どちらかと言うと、もう会えないんだ、この世にいないんだ、という「寂しさ」のほうが強かった。 もう一人は、72歳で逝ってしまった。昨年4月にすい臓がん(ステージ

      • 秋桜が咲くころに

        理由は知らない もしかしたらないのかもしれない なのになぜだかどこまでも 優しくて温かくて 潮風 レジスター 笑い声 たくさんの人を笑顔にして それはあなたの丸くて深い 黄緑色の優しさ 花が咲き 種がこぼれ 鳥が運び 雨降り注ぎ また来る春に命は巡る 黄金色の風に乗り あなたの温もりとともに 秋桜が咲くころに 花が咲き 種がこぼれ 鳥が運び 雨降り注ぎ ひかりの朝に命は巡る 黄金色の風に乗り みんなここにいる 秋桜が咲くころに あなたとともにいつまでも 2020.1

        • コインの裏表

          人は死という大きな業を背負っていて、それだけで十分なのに、何故苦しんだり悲しんだりしなきゃならないんだろう、って、痩せ細り衰弱していく家族と、その周りの家族たちを見て、このところ考えてる。 でも、苦しいのって生きたいからで、怖いのも生きたいからで、悲しいのは幸せや喜びが裏っ側にあるんだろうと思う。悲しみと幸せはともだち。

        音楽は言語の一種かもしれない

          大学生の時、お世話になっててドイツの短期留学も一緒に行った法学部の教授に、お酒の席で、表現って何だと思いますか?と訊いたら、「甕にどんどん水を注いでいくでしょう、そうすると、溢れますよね。その溢れた水が表現だと私は思っています」って言ってて、それを今でもすごく覚えてる。 酒に弱く、酔っ払うと大学生の女の子の前でデレデレだらしない顔して「◯◯ちゃん好きだよ〜」とか言っちゃう人だったけど、好きだったな。 ぜんぜんお会いしてないけど、元気にされてるかな。 表現したいものとかとくにな

          そのあいだに

          空と君のあいだ、に、何かがあるように。 冷静と情熱のあいだ、に、何かがあるように。 朝食と昼食のあいだ、に、何かがあるように。 ドとレのあいだ、に、何かがあるように。 南極と北極のあいだ、に、何かがあるように。 死と生のあいだ、に、何かがあるように。 病気と健康のあいだ、にも空間があって。 正常と異常のあいだ、にも空間があって。 男と女のあいだ、にも空間があって。 強者と弱者のあいだ、にも空間があって。 そのあいだがあるのだ。 本当は、境界線すらないんだ

          そのあいだに

          身内のがんについて

          身内が、がんになった。 膵臓がん、ステージ4。 告知を受けてから1ヶ月弱。 膵臓がんは、がんの中でも最も難しいと言われていて、見つかったときにはすでに転移が起きていたり、かなり進行した状態になっていることが多い。 僕の身内も例外ではなく、すでにリンパ管・血管・肝臓に転移している。手術もできない状態。 知ったときは、目の前が真っ暗になり、次に間髪入れずに涙がどっと溢れてきた。本人のショックは想像を絶する。 とても難しいがんで、有効な治療法というのも現時点ではあまり開発され

          身内のがんについて

          優しくいられること 強くなること

          人に優しくいられること。そしてその誰かのために動けること。 それ以上に大切なことは、人生において、ないのかもしれないな。 って、昨日からまた思ってる。 僕はぜんぜん優しくないからこそ、そう思う。 今日も、朝から泣いてばかりいる。ふだんそこまで、泣かないんだけど。 でも、その一方で頭はちゃんと動いてて、具体的にどうすればいいかも同時に考えてる。 こういう状態って、37年間の人生の中でも、なかったかもしれない。1年前の自分にはできなかったことだ。 不思議だね。人生何がある

          優しくいられること 強くなること

          木の葉道

          指の隙間から 木の葉がひらひらと 笑顔も涙もなく 朽ち果ててこぼれ落ちた 僕らが生きる今は 瞬きする間に 過去という作り物にすりかわっていく 優しい風 届かない僕の声 届けたくて 届けたくて 歌いつづけてる 空は青くて 君がそばにいる たったそれだけでこの胸は締めつけられるよ 何度願っても 痛みすら消えてくから せめて今だけは 君へつづく 緑の木の葉の道へ 絶え間なく続く 時計の針の音 まるで僕を急かすように 耳にこびりついてる 電池を抜いてみても その代わりみたいに

          木の葉道

          悲しいこと

          今日、とても悲しいことがあった。 5年分くらい泣いた。 受け止めきれてない。 これから受け止めていかなきゃいけない。 今在ることが当たり前じゃないこと。 明日には景色が一変してるかもしれないということ。 実はこの瞬間がとてもありがたいということ。 時は確実に進んでいくこと。 残された時間は着実に減っていくこと。 それは誰しもが例外なくそうで。 僕は、昨年出した「木の葉道」という曲に、そういうことを込めたんだけれど。 わかっていたつもりで、わかっていなかったのかもし

          悲しいこと

          蓋をすること

          相変わらずおかしなことが多くて心がざわつく。 いっそ、目を逸らしたほうが楽なんだろう、と思う。正直、最近はそうしてしまうことも多い。 あまりにも情報量が多すぎて。一種の防衛本能みたいなものなんだろう。 でも、ざわつく状態に蓋をするんじゃなく、ざわつくままにして観察していたい気持ちもある。 そっちのほうが疲れるし、不健康かもしれないけれど。 だってたぶん、そこにはちゃんと理由があるから。 蓋をすれば、一時的には楽だし快適だけど、そのままにしとけば中身は腐る。 腐敗が進行

          蓋をすること

          しばし沈もう

          森山直太朗のインスタライブを昨夜、見ていて。 そのあと、蔦谷好位置さんのインスタライブもハシゴして。 結局、日付が変わるころまでインスタ見てた。 で、なんやかんやで、僕には実力が足りないんだろう、魅力が足りないんだろう、って、その二人の姿を見て思った。 本当に実力があって、本当に魅力があるなら、世間は、人は、放っておかないと思うから。 伝わらない、届かない、ってのは結局、足りてないってことだと思う。 集団として見ると、変な世の中になっちまったな、って思うけど、ひとり

          しばし沈もう

          Mステ症候群

          サザエさん症候群、というのがある。 日曜日の18時半ごろになると、月曜日からの仕事のことで頭が満たされて憂鬱になるというあれ。 その症状が悪化するとちびまる子症候群、となり、さらには笑点症候群、のど自慢症候群、となっていく。 僕は前職で本社勤務のとき、最終的にそれがこじれすぎて、金曜日の仕事が終わるともうすでに月曜日のことが頭に入ってきて憂鬱になる、いわゆる「Mステ症候群」にまで進行してしまった。いや、いわゆらないかもしれない。 こうなってくるともはやわけがわからない。

          Mステ症候群

          はじめました

          そんなに言いたいことはないかもしれないしあるかもしれないんですが、はじめました。 よろしくお願いします。

          はじめました