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現代アート小説 キタタミ #2「デビュー編」

キタタミ


 あの子が、この部屋にやって来たのは、どれくらい前のことだったのかしら?  まるで自分の娘のようで、毎日、座ったり、飛び越えたりして、気持ちが通じあっていたような気がする。

 それなのに、だんだん気持ちが遠ざかってしまった。あの子にも、俗にいう思春期が訪れたっていうことなのかしら?

「ねえ、あなたの夢って何なの?」、私は、キタタミの気持ちを刺激しないように、そっと聞いた。「将来、こうなりたいとか、そういうものってあるの?」

「別にぃ」、キタタミは、ツンとした声でそう言った
「何よ、その態度」、私は声を荒らげた。今まで我慢していた気持ちが爆発する。「あなたのことを思って言っているんじゃない。最近、様子が変よ。何かあったの?」

「あなたのことを思って、とか言っているけれど、わたしが自分の思いどおりにならないから、イライラしているだけでしょ」
 その物の言い方、何なのよ。もう、本当に気持ちがわからない。どうすればいいっていうの?

 キタタミは、近づかないで、っていうオーラを出していた。木から流れて来る香りが、いつもより乱れている。なんだか、同じ部屋にいるのも気まずい感じ。

 私は、テレビをつけた。アイドルグループがダンスを踊っていた。あのテレビの中のアイドルたち、とっても華やかで可愛いらしい。でも、私にだって、あのくらい可愛かったときがあったんだから。

 コトン、郵便物が届いた。
 私は、二人だけの空間から逃げるように立ち上がって、郵便物を取りに行った。

 封筒の宛名は「キタタミY様」
 差出人は「キタタミプロデュース」

 キタタミプロディース?
 まさか、キタタミを専門にプロデュースする会社が存在するっていうの? 世界はどこまで広いっていうの?
 
 差出人の住所は、東京都新宿区キタタミビル5階。
 それらしいけれど、本当なのかしら。封筒の消印がちゃんと押されているから、この世から届いたことに間違いなさそうだけれど。

 我が家のキタタミは、じっとテレビのアイドルを見つめていた。私は、こっそりと封筒を開けた。

「おめでとうございます。キタタミY様。あなたは、予選会でのパフォーマンスが認められ、本選への出場が決定いたしました。本選での競技内容・スケジュールは、追って連絡いたします。なお、あなたは、人気順位A~ZのYです。今後のさらなる健闘をお祈りいたします。   ―― キタタミ・サバイバル・オーディション ―― 」

 どういうことなの? あの子がいつのまにか、自分で応募していたっていうこと? そんな度胸があったの?
 そういえば、最近、姿を見かけないときがあった。予選に出場していたっていうこと?

 あの子に目を向けると、テレビの前でハミングしていた。どうやら機嫌が治ったみたい。
 たしかに、今まで気づかなかったけれど、あの子がハミングする声って、心のずっと奥まで届くような気がする。
 私は、手に持っていた手紙を、そっと封筒に戻した。

           *

 私は、周りの友だちに、いや、知らない人にまで、投票を頼んで回った。本選は、ファンの投票数で、順位が上がったり下がったりする。キタタミへの投票は、曲を買うことでも、スマホをクリックすることでもない。一日一回、思い出してもらうこと、そのことが投票になる。

 我が家には、私ひとりしかいない。夫はいるけれど、忙し過ぎて、そもそも我が家にキタタミがいることに気づいていない(もしかしたら、私がいることにも気づいていないのかもしれない)。大家族に愛されているキタタミと、我が家のキタタミとでは、ハンディがあり過ぎる。

 私は、みんなにお願いした。「ねえ、我が家のキタタミのことを一日一回思い出して。木のかたまりなんだけど、魂が宿っているの」
「そうね。でも、あなたが何を言っているのか、よくわからないわ」

 何を言われたって負けてはいられない。うちの子の順位が、Yなんて、そんなはずがないじゃない。

「絶対に、ステージでセンターに立たせてあげるからね」、私はキタタミに言った。
「何をムキになっているの?」
「ライバルのキタタミに圧倒されて、落ち込んでいたんでしょ」

「目立つことなんて、ぜんぜん好きじゃない」、キタタミは言った。「ただ心のままに歌ってみたかったし、同世代のキタタミと出会って心を通わせてみたかったから、エイヤって、申し込んだだけのこと」

「ねえ、お母さん。サバイバルオーディションって、みんなに知ってもらうためには、とってもいい仕掛けじゃない。そういうことだって、わかってやっているんだし、それに、その中での順位が、自分のほんとうの順位だって思い込むほど、私たちヤワじゃないわよ」

「今、私のことを、お母さんって呼んでくれたの?」
「呼んでなんていないわよ。大人って、勘違いするだけじゃなくて、耳も遠くなるのね」、キタタミは言った。

           *

 ギャラリーでのデビューの日、あの子はセンターのちょっと横にいた。
 私は、まだそんなことを思ってしまう自分が恥ずかしかった。

 あの子は、ただ、そこにいて美しかった。あの子は、隣のキタタミと混ざり合ったり、ぶつかり合ったりしながら、そう、私の手の届かない表現の世界へと、遠く旅立って行った。


@「梢のキタタミ」 2023.11.3 ~ 11.26
art  cocoon みらい



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