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過去は変えられる

今日のおすすめの一冊は、斎藤茂太氏の『ほがらかに品よく生きる』(新講社)です。その中から「批判者に感謝しほめる」という題でブログを書きました。

本書の中に「過去は変えられる」という素敵な話がありました。

私は、ものは考えようだといつもいうけれど、「幸福」も「不幸」も考え方しだいでどうにでもなる。 私は何ごとも、いいほうへ、いいほうへと解釈する。 生きていれば、腹の立つこと、悲しいこと、思い出したくないことも数多く出現する。 また、楽しく、愉快なこともいくらでもあるものだ。 そいういうことをいろいろ思い出しては、私は「まあ、なんだかんだといっても幸福な人生を歩んでいる」と考え、満足に近い心をもつ。 自分を幸福と信じる人が、本当の意味で幸福な人だと思うからである。
ある年齢になって、過去をかえりみて、「幸福だった」と思う人は、自分の過去をいいほうへ評価した人である。 いろんなことをやってきたという満足感をもっている。 老年になれば人はだれでも「それなりに幸福な人生だった」と思うのではないだろうか。 時間がたつといろいろなことが美化されるというのは人間にあたえられた特権である。
老年の人から「昔はよかった」という言葉をよく聞く。 しかし、どんな人でも「よかった」ことばかりがあったはずはない。 イヤなこともいくらでもあったはずである。 が、どんな苦しいことでも、長い間には美化され、悪くない思い出として脳裏に残るのだ。 目の前の嫌なことは片端から忘れていく。 これは実にうまくできたメカニズムである。 人間というのは実にうまくできていると思う。
一方で、満足できない、まだやり残しがあると思う人もいる。 私はそれも大切だと思う。 やり残しがあると自覚するのは、前向きなことなのである。 人生は勉強の連続で、必ずいくばくかの不満を持って人は終わる。 それはそれで結構なことではないか。
旅行をすれば見たいところは無数にある。 しかし、すべては見られない。 見逃しは必ずでてくる。 だから「次の楽しみにしよう」と思うのだ。 「もう一度ここに来たい」というエネルギーの源泉になる。 人生も、心残りを少しばかり持つのが幸福に生きるコツだと思う。 残したものを少しずつ埋めていくのが、また楽しいのである。 残り物に福あり、だ。

斎藤一人さんは、こう語っています。 「よく、過去は変えられないっていうけれど それはまったく違います。 なぜなら過去はあなたの中にある思い出だから。 どんなに嫌な思い出も『あのことがあったから今の自分があるんだ』といい思い出に変えてしまえばいいのです。 過去の思い出を自分の思い通りにすることができたなら、未来も素敵な夢に変えることもできます。 その夢に向かって今やれることを、楽しみながら一歩一歩進んでいく…。 そういう人に神様は味方してくれますよ」

だから、「過去は変えられるけど、未来は変えられない」と一人さんはいいます。 過去は考え方次第で、よくも悪くも変えられます。 未来は、過去に対する考え方や見方が変わらない限り変わりません。 その人の生き方や考え方のクセだからです。 悪い方に悪い方に考えるクセのある人は、未来も悪い方にいきます。 どんなときも、いいほうへ、いいほうへと考える人でありたいものです。

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