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お風呂屋さんの感謝

今日のおすすめの一冊は、岡本彰夫(あきお)氏の『神様が持たせてくれた弁当箱』(幻冬舎)です。その中から「神仏を敬い、陰徳を積む」という題でブログを書きました。

本書の中に「物を粗末に扱わない」という話がありました。

小さい頃、家の都合で、しばらく京都の金閣寺の近くで暮らしたことがあります。昭和30年代の話です。その仮住まいから少し離れた所に銭湯があり、よく祖母や母に連れられて出かけていました。遅い時間に参りますと、女湯の浴槽の奥に設けられた小さな潜(くぐ)り戸から、髪を後ろで結い上げた初老のご婦人が出てこられるのを見かけました。
そのご婦人は、湯舟の角に片膝を立てて座られると、まず木桶で湯舟のお湯を汲み上げ、掛かかり湯をするのではなく、そのまま木桶を両手で頭上に捧げ、それからソッとお湯を湯舟に戻されるのです。さらにご婦人は、同じ所作を三度行い、四度目にようやく掛かり湯をされ、湯舟に入られるのでした。そんな姿を何度か目撃した私は、あるとき祖母に尋ねました。「あのオバちゃん、なんであんなことしたはるの(されるの)?」
すると祖母は、自分でも不思議に思ったので、勇気を出してお尋ねしたというのです。ご婦人はこの銭湯の奥さんでした。そして、「風呂屋と申しまんのは、尊いお水を垢(あか)で汚して、毎日毎日生活してごはんをいただだいとります。水のご恩を返せまへんのや。昔から風呂屋で出世したウチ(家)はないのどす。それで、毎晩仕事仕舞湯にこうしてお湯を頂いてナァ、お礼申しとりますのんや」。そう話されたといいます。
後年、人づてにこのご婦人のことを聞き及んだところでは、息子さんはみなさんお医者さんになられ、銭湯は閉じられましたが、大層お幸せな老後を送られたということでした。ご夫人には尊い水を汚しているという自覚がありました。何事も、そうと知りつつやっている者は、常に反省を持って臨んでいます。そんな心が、きっと神様からお褒めにあずかり、お陰をいただかれたのでしょう。
お金を頂戴するということは、すべての責めを負うという覚悟が必要です。お金をいただいたからには、その責任をとらねばならないのです。すべてにおいて、人には務めがあります。取るものを取るなら、なすべきことをなさねばなりません。取るだけ取ってならぬなら、天からその責めを負わされるということになるのです。

これも、ある面での陰徳です。自分の従事する仕事や道具や材料に対して感謝する。そして、日々そこからご恩をいただいていると言う姿勢が、謙虚な姿勢となってあらわれます。物を粗末に扱わないこと。そして、人知れず、陰徳を積む生き方。とても大事だと思います。

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