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よき仲間に囲まれること

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『もうひとつの幸せ論』(ダイヤモンド社)です。この中から「人生の後半にすること」という題でブログを書きました。

本書の中に「よき仲間に囲まれること」という素敵な一文がありました。

【地獄度100パーセントとは 「孤独なこと」。 天国度100パーセントとは、 その180度、反対にある 「よき仲間に囲まれること」】 

《恨みながら死ぬと、死んだあともつらい》 世の中を呪ったり恨んだり、「友人がいない。親しい人がいない。誰からも愛されていない」という想念を持ちながら死んだ場合、死後の世界でも、その想念と同じ状態(=孤独地獄)に陥ります。 死んだあとになっても、「自分を愛してくれる人も、頼りにしてくれる人もいな い」、「温かい言葉を投げかけてくれる人も、優しく接してくれる人もいない」とい う「孤独地獄」が続くのです。 
「肉体がなく、痛みを感じない状態である魂の世界において、「孤独地獄」は「地獄度100パーセント」の状態といえるでしょう。恨みながら命を絶つと、魂にとって、もっとも悲しくつらい状態が待ち受けています。 
《「天国度100パーセント」とは?》では、「地獄度100パーセント」と180度正反対にある、「天国度100パーセント」とは、どのような状態なのでしょうか? 「地獄度100パーセント」がわかれば、その対極にある「天国度100パーセント」も想像できると思います。 「天国度100パーセント」とは、「孤独と180度正反対である状態」、すなわち 「よき仲間に囲まれている状態」をいいます。
よき仲間とは、 
●「自分の喜びを一緒に喜んでくれる人」 
●「『あなたはあなたのままでいい』と言ってくれる人」 
●「同じ方向を向いて、同じ価値観で生きている人」 
●「同じ話題を、同じように笑顔で話せる人」 
●「喜ばれるように生きている人」 
●「不平不満を口にせず、常に感謝をしている人」 のことです。
愛情に満ちた「よき仲間」に囲まれ、「そこに自分が身を置いているだけで楽しくなる」ことに気がついたなら、もう孤独ではありません。「天国度が 100パーセント」になります。 「天国度100パーセント」とは、「成功を勝ち得たり、社会的地位を手に入れたり、達成目標をクリアすることではない」と私は思います。 
営業ナンバーワンになったり、高級車に乗ったり、豪邸に住んだり、成績を上げたりすることが、「天国度100パーセント」なのではありません。たとえ何億円 もの年収を手に入れたとしても、「よき仲間」を持たず、「自分の力」しか信じなけ れば、その人を待つのは、「孤独な世界」でしかありません。 
繰り返しますと、「天国度100パーセント」とは、競い合ったり比べ合ったり することでも、努力目標を達成することでもなく、同じ価値観を持つ「よき仲間に 囲まれること」なのです。


お釈迦様に弟子のアーナンダが「よき友を得ることは聖なる道の半ばだと思えるのですが、どうなのでしょうか」と質問したとき、こう答えました。「アーナンダよ、よき友を得ることは聖なる道の半ばではなく、聖なる道のすべてである」と。よき友を得ることは、幸せに生きることの絶対条件なのだ、と言ったのです。

巷(ちまた)では、YouTubeのフォロアーやサロンのメンバーが何万人いて、年収が何億とあるということを誇る人がいます。どんなにお金があろうが、フォロアーがいようが、真のよき友がいなければ、それは偽りの成功であり、嘘で固めた幸せです。


お金も、豪華な家や車も、あの世には持っていけません。この世を去る時、持っていけるのは、死ぬ間際の想念です。嫌な想念を持っていたらそれはあの世までずっと引きづっていきます。「ああ、楽しかったなぁ」とあの世に行けば、それが天国です。

しかし、うらみつやみや、傲慢不遜で、人を虫けらのように扱い、上から目線で居丈高な気持を持ってあの世に行くとするなら、それが地獄です。よき友のいない「孤独地獄」の状態です。

よき仲間に囲まれる人生を送りたいものです。

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