見出し画像

「喜ばれる存在」という方向に

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『喜ばれる』(PHP文庫)です。その中から「いつもニコニコしていれば」という題でブログを書きました。

本書の中に『「喜ばれる存在」という方向に』という心に響く文章がありました。

ある人たちの結婚式とお祝いの会があり、そこで本格的に歌ってくれた方がいました。 その方はジャズのセミプロで、得意とするジャズの曲を生演奏に乗せてのステージでした。 でも外国語で独特の難しいメロディーが、聴いている人たちには分かりづらかったようです。 大変上手だったのですが、淡々とした拍手で終わりました。 

翌日、朝食のときにその歌手の方と一緒のテーブルになりました。もしかしてファンやステージが増えていないのではありませんか、と。 「そのとおりです。ステージの数は多くないので、歌う仕事の他にアルバイトをしています」 とのこと。

そこで昨日のステージで感じたことをお話ししました。 前日の結婚式に集まった人たちは、四十代、五十代の、ジャズのことはよく知らない人がほとんどだった。どちらかといえば、演歌や歌謡曲などのほうに慣れ親しんでいるかもしれない人たちです。 その人たちの前で、自分の得意な分野のものだけを歌うことは自己満足で、喜ばれることにはならない

この場合は、みんなが知っていて、口ずさむことのできる曲を歌うほうがずっと喜ばれます。 その方は、すばらしい歌唱力をもっていました。その力で演歌や童謡など、みんながわかる歌を歌えば、聴いている人たちも一緒に楽しめたのではないでしょうか。 

カラオケでいろいろな年代の人たちが集まると、二十代の若い人が流行の曲を歌うことがあります。こういうときにみんなの知っている歌を選曲することも、喜ばれる、ということです。

私は、人間とは人に喜ばれるためにこの世に生まれてきた存在だと思っています。「喜ばれる存在」であるとは、人のどんな行動にも現れますが、歌を選ぶときにも、それは現れるのです。

自分の生き方をすべて、二十四時間ずっと喜ばれるようにセットして、ありとあらゆる場面でそのように実践していくことを考える。自分という船を「喜ばれる存在」という方向に自動セットして、二十四時間、三百六十五日その“セット”を続けていくのです。

そうすると三年ぐらいたつ頃から、投げかけた分の利息と共にポンと降りてきます。でも、あれをしよう、どうにかしよう、と自分でしようとしているのは、今を気に入らない、と否定していることになるので叶いません。

ジャズシンガーの方は、これから「喜ばれる存在」という方向にセットして、少しずついろんなジャンルを取り入れて歌ってみます、ということでした。三年後、投げかけた分が大きくなって返ってくるかもしれません。《「喜ばれる存在」という方向に》

往々にして人は、人より抜きんでた技術を持っていたり、得意なことは、自分の専門的な知識をひけらかしたくなる。潜在意識の中に「人とは違うんだ」というプライドがあるからだ。

もちろん「プライド」は必要だ。だが、それが「ひとりよがり」になってしまってはまわりの人を喜ばせることはできない。

本当に一流の人は、一般人と同じレベルまで降りてくることができる。自分に自信があるからだ。表面的なことで差別化しなくても、にじみ出てくる実力を持っている

どんなときも、どんな場面でも、「喜ばれる存在」という方向に、自分をもっていける人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?